抹茶飲んでからマラカス鳴らす

FC東京サポで鷹党のどうでしょう藩士による映画・アニメを中心とした感想ブログ

呼称「ミツバチと私」感想

 どうも、抹茶マラカス(@tea_rwB)です。

 こちらも旧年のうちに鑑賞した作品。ベルリンで主演賞を受賞したのもあって納得のクオリティ、そして上半期ベストぐらいまでなら絡んできそうな良い基準になりそう。

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WATCHA4.5点

Filmarks4.3点

(以下ネタバレ有)

1.社会が定義する自己

 本作はフランスに住む一家が母の実家のあるバスクにバカンスに行く話。バスクですよ、バスク。スペインの中でも、カタルーニャと並んで殊更特殊な印象のあるバスク地方ですが(主に純血主義のアスレティック・ビルバオのせい)、まあ文化的にはかなり豊かなイメージ。圧倒的な美食と芸術の地域の印象があるし、実際本作の主人公のお母さんも芸術家一家というか、お父さん(主人公のおじいちゃん)が彫刻家で自身も芸術講師を目指す過程、みたいな感じ。まあ大移動みたいな感じで言っちゃいましたが、劇中でフランスの方のお家もフランス領バスクバイヨンヌって言ってたんで距離的にはそんなに遠くないと思います。ってことで劇中ではスペイン語メイン、フランス語も話されますが、バスク語も出てきていると。流石にバスク語スペイン語の違いは分かりません。

 そんなバカンスなんですけど、ちょっと行く前から主人公がやらかした件がなんかあるらしく、ちょっと揉め気味。折角親戚一同に会っても主人公はキスしないし、久々にあった親戚の可愛い盛りと思っていた子どもが親密表現を嫌がってきたら親戚のおばちゃんたち悲しみそうだな、って思ったり。

 でも、こういう色々も主人公の抱えている違和感が原因になっていて、そこをこのバカンスを通して自分でも考えていくし、周囲もそれをどうやって受け止めていくかって考えていくっていう訳で。ここまで呼称するのを拒んできてはいましたが、性自認の問題ってことですね。戸籍上の名をアイトールという少年である主人公で、愛称としてココと呼ばれるもどちらも嫌がっている。最終的に彼女は「ルチア」という名前を自ら選び、それを聞いていたお兄ちゃんのエネコから波及してお母さんのアネもそれで探し回ってくれる、っていう終わり方なんですがそこに至るまでまあ色々あって。

 某フォロワーのレクさんではありませんが、いやしかしこの映画においては3度ある排泄描写が非常に有効で。この映画においては、性のあり方を他者がガンガン規定してくる社会のしんどさが描かれまくっています。プールに入って肌を晒すことへの葛藤もありますが、そのプールに入るのにも入場カードが必要で名前と性別を要求され、更衣室という選択があり、水着にも非対称性がある(この点は今は昔よりラッシュガード的なのが増えていい時代になった気もする)。物語の終着点に向かっていく洗礼の儀式もドレスを求められ、何を着るかがまた性別を規定しようとするし、そしてそれは他者の視線が規定していくということでもある。あとは、聞いている限りでは全く私にはわからないんだけど、欧州圏には男性名詞と女性名詞が存在するので、言語の時点からそういう規定を周囲から求められてしまうのかもしれない。そういう他者の視線をもって自分の存在を定義できずに困惑する彼女は、しかし自分が何者なのか、自分が完璧ではないのはなぜか、自分が男だと確信できるのはなぜか、という内省的な、社会からの視線とは違って自分が自分でいる故の疑問っていうのが立ち上がっている。自己を規定するのは自己なのか、他者からの視線なのか。こうした問い自体に答えはでない、というか個々人が考える次第。

 ってとこで排泄なんです。バスクに到着してのかがり火の周囲での立ちションでココとしての排泄を見せておいて(というか、このちょっと後のシーンまでフツーに女の子だと思ってしまっていた。後からあの立ちションの意味に気付いた)、プールのトイレでは座って用を足す、そこに友人がいることで親密圏と自己の規定、みたいなことを考えさせてくれる。その上で、3度目の排泄といえるおねしょのシーンは逆にそれを見せれるエネコとの関係性も見せてくれるし、っていうかエネコは超いいお兄ちゃんで泣ける。私の何が問題なんだろ?って問うたルシアにお前は何の問題もないよって言ってくれるお兄ちゃん最高すぎる。周囲の受け止めで言うと、やはりニコの存在も欠かせない。一緒に流れ着いた聖なんちゃらの像を見つけに行くときだっけ、水着可愛いねからの取り換えようよ、でルシアの下半身を見ても「うちの学校にも女性器ついてる男子もいるよ」と変に揶揄ったりせずに受け止めてくれる。子どもたち世代への信頼というか、お父さんの振る舞いがクソなのに子ども世代が理解を示せているのは本当に嬉しくなる描写。

 無論、この映画の売り方的には蜜蜂を飼っているおばちゃんのことを周囲の受け止めとして特筆した方がいいんだろうが、うーん別にこのおばちゃんが養蜂している話は別に要らなかったな、っていう感じでした。別に蜜蜂から学んだ感じも無かったし。