抹茶飲んでからマラカス鳴らす

FC東京サポで鷹党のどうでしょう藩士による映画・アニメを中心とした感想ブログ

近くて遠い「CLOSE クロース」感想

 どうも、抹茶マラカス(@tea_rwB)です。

 今回はルーカス・ドン監督最新作。宮崎駿の最速レビューだと思っただろ!試写会で見たやつを優先するのが義理人情ってもんよ!どうせ14日には駿見れてないし!

Close [Blu-ray]

WATCHA3.5点

Filmarks3.7点

(以下ネタバレ有)

1.名前をつけると壊れる

 本作は幼き頃からの男子2人の物語。小さい頃から親同士ごと仲良くて、2人だけの世界だったのが、学校というコミュニティになって世界が広がって関係性がどう変わっていってしまうのか、それをとてもクロースアップのカメラで追っていく感じ。

 もうね、学校入っての色々がしんどい。距離が近い(近いっていうのも何か規範とか基準値に対して、っていう感じでこの映画ではあまり使いたくないかも)二人の関係性を他者が規定してくる。付き合ってんの??笑笑みたいな。誰かと誰かの関係っていうのは、例えばカップルだったり、例えば親友だったり、例えば顔見知りだったり、色んな名前をつけられる。でも、それぞれの関係性は数パターンに分類できるわけないし、その定義は人それぞれすぎて、正直簡単に言ってほしくない。それは「付き合ってるの」に対してもそうなんだけど、この映画の場合レミの死後の「レオの親友」っていうところにもちょっとお前が決めるんか?みたいな棘を感じる。

 それでいて、この規定してきた側は、「聞いただけだよ、怒んないで」っていやあ子ども同士の会話だけど辛い。酷。聞いてきたのは女子だが、そのあとは、レオ男子からもオトコオンナと揶揄われる。そこに性差があるわけではなく、ただ無知がある。揶揄うっていう行為は本当に嫌。で、これを受けてレオが揶揄われるのが嫌で遊ぶのをやめちゃう。

 ああ寝る位置が離れた…。2人で遊んでるはずなのに距離がある。レミの方が兵隊ごっこを仕掛けて戻ろうとするけど、レオは「誰もいないよ」って答えてそのごっこ遊びを離脱してしまう。二人の距離はどんどん離れ、レオはアイスホッケーを始める。アイスホッケーでの描写で壁を挟み、自転車の帰り道で両者は道を違え、そして翌朝レオはレミを置いて登校して喧嘩になる。そしたら、もうレミはレオのことを見てもくれないのだ。アイスホッケー部での上裸で叩きあったり、ホモソーシャルの萌芽というか、「社会」に触れて大人になる、成長するっていうのが、今の世の中だと規定されやすくなることなのかな、と悲しくなる。

2.人に触れるなら抱きしめたい

そして彼の死を経験して、レオは勢いのままに壁にぶつかることしかできない。『裸足で鳴らしてみせろ』の描写を思い出すような、自分の感情を抑えられないけど、どう表現したらいいのか分からない、でも何かこう衝動がある、そんな感じ。

 もういなくなって、視線を返してくれないレミの代わりにレオは彼の母に視線を向ける。彼女が学校に道具をとりに来たりした際だ。そしてようやくレオの口から出る「会いたい」と「僕のせいだ」。一旦は「降りて」だったけど、彼女に相対して木の棒を握って威嚇するレオに対して彼女の答えは抱きしめることだった。色んなものにぶつかって、発散で動いていたレオが優しさに触れた瞬間だ。勿論、映画で中心となるレオを演じるエデン・ダンプリンは素晴らしいのだが、ここでのエミリー・ドゥケンヌの演技、表情はしっかりと大人の世界からの応答を示していて、何よりそれが好きでした。

 でもね、これって純粋に見える何かを搾取してエンタメにしてしまったような気がして。割と繊細に、名前を付けたら壊れちゃいそうな、このままの2人っていう関係性が壊れてからは、結構ティピカルな展開になってしまって、そこに名前が簡単につけられてしまいそうで、なんだかちょっと残念に思ったのは事実。そこの気持ちは忘れないようにしておきたいと思います。これはこの映画を語る際に引き合いに出されるだろう『怪物』では感じなかった気持ちなので。