抹茶飲んでからマラカス鳴らす

FC東京サポで鷹党のどうでしょう藩士による映画・アニメを中心とした感想ブログ

閉塞「遠いところ」感想

 どうも、抹茶マラカス(@tea_rwB)です。

 今回は非常に参考にしている映画評論家松崎健夫さんが強くプッシュしていたこともあって、結構前から注目していた作品になります。

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WATCHA4.5点

Filmarks4.4点

(以下ネタバレ有) 

1.息づく貧困

 沖縄における貧困を取り上げた本作。主人公の春瀬琴音(すずめの戸締まりの四国の宿の子役!)演じるアオイは、17歳でありながら母であり、キャバクラで生計を立てている。もうこの時点で尋常ならざる貧困な訳で、未成年による深夜労働、飲酒が当然のようにまかり通っている。さてここで少しお勉強というか、データで整理しておくと(偉そうなことを言うが適当にググったやつの孫引きである。論文じゃないからいいだろう)沖縄の貧困率は役35%と全国平均の二倍でワースト。平均所得、最低賃金が低く、ワーキングプアの数字も日本一。結果的に貧困の連鎖が止められず、子どもの貧困も全国平均の2倍を記録している。ついでにそこに輪を書けそうなのが離婚率の高さで、19年連続日本一らしい。

 で、こういうことを踏まえて描かれる本作の貧困はもうちょっと画面から目をそむけたくなる。キャバクラでアオイが日払いで稼いできたお金は、働かない夫に見つからないように複数個所に分けて隠し、朝に帰ってきては子どもの面倒を見ながら寝てしまう。キャバクラは警察に摘発され、働くところがなくなってしまい、昼の仕事を探すが、最低賃金が700円代で、振り込みが翌月だと日払いで自転車操業していたアオイは、当座のお金が無くなってしまう。横道に逸れるようだが、テレビの節約特集とかを見て、カット野菜じゃなくて生野菜を買った方が割安だ、みたいな指摘をして何か言っているような連中はこういうところを分かっていない。最終的に割安になろうとも、その先行投資が出来ないから貧困から抜け出せない。それは構造的な問題なのだ。結局、夫が酒でトラブルを起こしたことで示談金を払う必要が出てきたアオイは身体を売る道を選ばざるをえなくなり、息子は児童相談所に保護されていくことになる。親友も自殺し、アオイにとって生きている世界はもう地獄以外の何物でもない。友と語った「遠いところへ行きたい」という言葉が、沖縄という島から海を越えたところに行きたいようにも聞こえるし、拡大解釈すれば日本という島から遠いところに行きたいのかも知れない。それとも、スクリーンの中から遠いこちら側に?結局、それは現世から遠いところへ向かう結末になってしまうのだけれど。

 そうした彼女の地獄を人ごとにならないように、いくつかの工夫がなされている。まずはなんといっても実在感しかないあの家。絶妙にままならない日々の蓄積でこうなっていったんだろうな、っていうゴミ屋敷とも違う、しかし明らかに憩いの場としての家ではなくなっているあの家。これは美術として素晴らしい。そして撮影。時折アオイの背中についていくようになされる撮影は、ともすれば自分がその世界にいるんじゃないかとも思わせる。

 気付いたら、頭の中には漠然と「食い物にする」という単語が浮かんでいた。この映画において、いや、日本社会においては男たちが女性を食い物にし、我がもの顔で振る舞っている。それだけでなく、この沖縄という土地においては、本作では語られこそしないものの走り去るそのバックに、確かに吉が映っていた。日本が沖縄を食い物にもしているのだ。虚構の中の地獄めぐりは、私を含めた映画ファンは大好物だ。でも、フィクションが現実を映しとって現実の地獄を顕現させていくケン・ローチ的なアプローチの前では、観客は無力でしかない。だれ一人取り残さない、その放送が虚空に響く。