抹茶飲んでからマラカス鳴らす

FC東京サポで鷹党のどうでしょう藩士による映画・アニメを中心とした感想ブログ

ミステリオが主演のストレンジはややこしい「ストレンジ・ワールド/もうひとつの世界」感想

 どうも抹茶マラカス(@tea_rwB)です。

 ディズニーのアニメ映画が売れるのはこう微妙な気持ちになるので、いいような悪いような、みたいな気持ちです。ピクサーを無下にするからこうなるんだぞ。

 情報なしでいったのに、鈴木福原田泰造が分かった。分かったからといって下手というわけではないぞ。

The Art of Strange World (Disney)

WATCHA3.5点

Filmarks3.6点

(以下ネタバレ有)

1.この不思議な世界は…

 そうですね、まずもってタイトルになっている「もうひとつの世界」って何ぞや、ですよ。冒頭でいきなりインディ・ジョーンズみたいなのかましておいて、何だろう、と思っていたら地底世界。一体その穴誰が開けたんだよ、っていう縦穴から地底世界に進んでいって、そこでお父さんと再会してっていう中で、基本的にちんたらしてるんですよね。命の危ない世界に見えて、そもそも不用意にものを触ったり、火を付けたりと危険そうなことをバンバンする。不用意すぎるし、それで死人が出ないので緊張感が無い。そこそこの山場を準備しているんだけど盛り上がらない。っていうか、こんなに死人が出ない世界ならあっさりと殺された運転手が可哀想にもほどがある。露骨にお母さんが運転する為の犠牲じゃないですか。かっわいそう。

 出てくるモンスターもどうでしょう、イマイチパンチが無い。崖が動くのはちょっとだけ面白かったけど、それ以外はクトゥルフ感が中途半端に出てるし、色もなぁ、カラー・アウト・オブ・スペースの方が面白かったもんなっていう。中途半端に意思疎通できるのも気持ち悪かったし、3本足のわんちゃんもごめん、最近3本足の椅子見たんだ。クトゥルフ的には気持ち悪いは誉め言葉かもしれませんが、褒めてない方の気持ち悪さです。

 などという戯言をずーっと思っていたら、この世界は実は大きな島状の物体の体内で、抜け出せない集落っていうのは甲羅の上にあったのだ!という大逆転で許す!!となってしまうので不思議。クトゥルーではなく、実際の腸内細菌とかそういうのがモチーフだから似たり寄ったりだし、ピンク色なのもそういう!っていう納得が勝つ、という。『ミクロの決死圏』ですよ。60年代に素晴らしい全力を尽くして人体の不思議を描いた大傑作のそのままの流れを組む作品だったのだ!!そういえばこいつらの乗っているマシンもその匂いがしている!(ちなみに、おじいちゃん役がデニス・クエイドなので、『ミクロの決死圏』よりも『インナースペース』の方が参考元かもしれない)

遊戯王 TB-45-N 《島亀》 Normal

2.頑張らないと親に似る

 テーマ的には完全に父子の物語ですね。3代にわたる私のやりたいこんな事!っていうのがおじいちゃんは山を越えることで、お父さんはそれを否定するのに兎に角躍起で、農家として成功を収めている。山越えに執着しまくってる大塚明夫は確かに狂っていたし、見たことないものを発見したらそっちに気持ちが行くのは当たり前では??っていうか、そういう地政学への関心もなく冒険家やってんの…?

 でコイツら、子どもに対して自分の来た道を通らせたいっていうところは変わっていなくて、こいつらはよく似ている。あーん?クソじゃね??っていうパートを長々見せられるので正直言って滅入ってしまう。頑張らないと親に似る、は大好きなTBSラジオ「東京ポッド許可局」でもお馴染みの言葉ですが、これが実に身に染みる。最終的におじいちゃんもお父さんもそれに気付いたうえで農家を継がなくてもお前は自慢の息子だって言ってくれていますが、でも功績がどうとか、本当に子どもを尊重しているか?みたいな怪しい雰囲気がプンプンでうーん、どうなんだろう。個人を尊重しているようで、家に割と縛られちゃったかな、っていうのがどうしても否めない。まあ、これは頑張らないと親に似る、の解決策が「じゃあ親にならない」になりつつある私の言葉なのでね、気にしないでください、探さないでください旅に出ます。

 事程左様に、アドベンチャーとして緊張感が無い、家族のテーマがイマイチ、世界自体の設定は面白い、っていう感じ。で、本質っていうか、その電気を発生する植物の危機っていう導入や、不自然にもほどがあるおじいちゃん、お父さんとの3人でのカードゲーム、開拓なんちゃらのところで言っていた敵なんかいない、どう一緒に生きていくかだ!っていう言い方といい、露骨にSDGs映画なんですよね。SDGsは陰謀だ!とかそういうこと言ってる連中には同意しませんが、ただまあ伝え方ってあるじゃん、っていう。そのままお題目を読み上げるんでは意味がなく、それが外側でふわふわしているだけで家族の物語のところにうまく接続できていないな、っていう印象です。悪役、っていうのは必要ない話はあると思いますが、その場合は世界それ自体がかなり魅力的でないとかなり厳しいですね。それほど悪は魅惑の存在であり、そして悪がいないということは善もまた存在しないということなのです。