抹茶飲んでからマラカス鳴らす

FC東京サポで鷹党のどうでしょう藩士による映画・アニメを中心とした感想ブログ

日本型SFの開眼「Arc アーク」感想

 どうも、抹茶マラカス (@tea_rwB)です。

 乗りに乗ってる中国SFの中でも輝くケン・リュウの実写化(まあケン・リュウは中国系アメリカ人ですが)。世界に轟く中国SFの中でも有力作家の実写化が世界で一番日本が早かった、というのは実に驚くべきことだと思いますよ。ケン・リュウは製作総指揮に名を連ね、脚本にもしっかり目を通しているようで実に素晴らしいと思います。ちなみに、ことあるごとにオススメしているNetflixのアニメアンソロジーシリーズ『ラブ。デス&ロボット』の「グッド・ハンティング」という作品はケン・リュウ原作ですのでよろしければそちらもどうぞ。

f:id:tea_rwB:20210614003330j:image

WATCHA3.5点

Filmarks3.6点

(以下ネタバレ有)

 1.不老不死の芳根京子。だがそれは

 本作は実に独特と言っていい始まり方。すっごい綺麗な岬で芳根京子がなんか映っている映像こそあるんですが、そのあとは画面がぐぐっと切り替わって、なんかコンテンポラリーっていうんですか?奇怪なダンスを4人組が踊っていて、それを小屋で見る感じ。そしてそのあとを受けて芳根京子演じるリナが登場!さっそくビックリのダンスを披露する。色彩豊かなライティングで周りを圧倒するダンスを披露し、そこにやってきていた寺島しのぶと出会ったり、みたいな物語の始まり。これが19歳の章で第1幕になります。

 そう、芳根京子が不老不死になるっていう話の触れ込みなんですけど、結構長い間そこに至らないんです。本作はリナが19歳・30歳・89歳と3幕で描いてエピローグに135歳でおしまい。リナはそのすべてで登場する結果、語り手としての役割がメインで、それぞれの章に主人公といえる登場人物が出てくると言っていいでしょう。

 19歳の章は、エターニティ社に入社し、死の技術に触れるまで。ここではその偉大な先達として寺島しのぶ演じるエマが登場し、死体を火葬せずに剥製みたいにする+ティネーションという技術を披露。剥製化するのはともかく、それを紐で引っ張り、さっきのコンテンポラリーみたいなダンスで操作して、最も輝く瞬間で固定するという。ここが私は素晴らしいと思っていて、日本でSFを実写化する際には、確実にテクノロジーと予算・美術の面でどうしてもハリウッドには勝てない訳です。そこを突破するために近未来ガジェットをほぼ排除して、メカをスキャンに制限して固定化にはむしろアナログな操り人形的なメソッドで表現することでそこを突破している。ここはアイデアの勝利で素晴らしいと思うんです。この作品は全体を通して、近未来どころか、もしかしたら現在、あるいは過去ですあるかもしれないような風景ばかりが映ります。よく考えれば、SFだから背景をバッキバキに決め込む、というのは『ブレードランナー』、そして『マトリックス』ですっかりハリウッド流に染められた観客の思い込みだな、と思わせてくれて。なんだったら、そういう技術を使うと少し時間が経ったときに古く見えちゃうわけですが、この作品は多分10年経っても古びない。どこかレトロフューチャーでありつつ、そういう強さがあると思いますし、この方向でなら、日本もSFで世界と戦えるな、と強く思いました。

 30歳の章では、19歳の終わりで追放されたエマの弟、天音が社長に就任し、不老技術を獲得。ようやくリナが不老の人間となるし、結婚及び後に効いてくる冒頭映像の話(まだこの時点ではかつての妊娠が17歳の映像とはわかんなかったけど)なんかもフリ始めて、ようやく物語は動いてきた感じ。

 89歳になっても健在、髪型も変えてカワイイ芳根京子さん(本当は19歳の時が1番だと思いました)は天音とあり得なかったはずの死別を経験し、不老技術が適用されなかったり、手術を受けなかった人たちが老後を送るホスピスに近いものを経営する感じ。ここでの主人公は、リナの娘のハルと、新規入居者芙美と利仁。まあこの小林薫風吹ジュンは絶品です。迫りくる死期、それを受け止める無骨な男。不老モノの定番といえる、年を取らなくなった人物に関係する年取った人物で年齢の逆転という基本なんですが、しかしやはり強力なカードが切ってこられる。小林薫が孫の年齢の子と遊んでいるのに、それは兄妹なんですよ!なんですか、その強力すぎるパワーセンテンス!小林薫さん大好きなんで、はいもう100点!!って感じでした。
 うっかり大事なことに触れ損ねていましたが、この89歳の章はなんとモノクロ撮影。正確に言えば、デジタルで普通に撮って、ポスプロでモノクロにしたらしいんですが。この作業をしたカラリストは、監督が映画を学んだポーランドで行い、アカデミー撮影賞等にノミネートされた『COLD WAR あの歌、2つの心』の方だそうで、ああそういえばあれもモノクロだったな!と思いつつ未見を反省しております。ずっとモノクロと言われるとどうしても食指が…。まあそんなわけで、89歳の章は小豆島のモノクロ、しかも話は老人主体なのでほぼ想田和弘監督のドキュメンタリー『港町』ですね。

2.理系的でありつつ文系的

 本作の試写会には科学ライターのJoshuaさんも登壇され、監督も大学で物理学を専攻し超電導(カマリン・オンネス!)を学んだっていうことで、かなり理系要素も強い。そのため、不老という概念に対しても、テロメア初期化、という学問的な裏付けをしっかりしている映画なんですよ。だからSFのScienceの部分がしっかりと裏打ちされている、そのパーツでは文句のない映画。また、特に第1章に顕著ですが、死を唯物論的に扱い、遺体ではなく死体として扱い、死すら従えようというその論理は極めて理系な印象。ただ、その従え方が人類として不死になるのか、不死の種族に生まれ変わるのか、それとも死んだ人間をゾンビとして蘇らせることなのか、でシドニアの騎士になったり、屍者の帝国になったり、様々だとは思いますが。

f:id:tea_rwB:20210614003344j:image

 だけど、物理・化学で赤点を取りまくっていたド文系の私からすると、めっちゃ文系映画なんですよ、コレ。そもそも、不老とか不死とかいう話が出ると、当然にして概念としての死が生に与える影響という議論が登場します。死があるから生が尊い、終わりがあるから意味がある、みたいな言説です。劇中でも、こういった問いはなされますが、リナはそれは制限のあった人類の考えることであり、これからはそうでないことを身を以て証明するぞ、と唱える訳です。すっごい観念的であり、哲学的な問いですよ。

 で、結局はリナは135歳でその生涯を閉じる決断をします。89歳の時点で、出生率が0.2とか、自殺が多すぎて合法化を検討とか、ラジオ音声でさらっと処理される部分で紹介されており、この社会の微妙な部分が浮き彫りになってきている(どっかで聞いた設定ですね)。でも、こういう自殺とかを考える世代っていうのは、恐らく死を知っている世代で、不老第2・第3世代である可南子、ハル、ハルの子(リナの孫)なんかは、逆に死なないのに死ぬ選択するってありえない!とかつてのリナが言っていたことが現実になっている。こういうのって、世代間格差とか、社会が経年で最適化されていく感じがあって凄い経済学とかその辺の雰囲気を感じまして。哲学と社会学と経済学を内包したら、それはもう社会科ですよ!

 んで、こうした描写っていうのが、基本的に「死」をジャッジしていない。死の選択も不死の選択も、あるいは選択できないことも、全部平等に扱われているって感じで。「死」も選択可能な概念にしてしまった、一般化してしまったというのはすっごく詩的な気がしました。