抹茶飲んでからマラカス鳴らす

FC東京サポで鷹党のどうでしょう藩士による映画・アニメを中心とした感想ブログ

アイの戦争「ザ・クリエイター/創造者」感想

 どうも、抹茶マラカス(@tea_rwB)です。

 今回はギャレス・エドワーズ監督最新作。宣伝的には『ローグ・ワン』の監督らしいのですが、相変わらずスターウォーズ弱者なので個人的には『GODZILLA』の監督です。

 各章の始まりの回想は本当に要らなかったと思う

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WATCHA3.5点

Filmarks3.3点

(以下ネタバレ有)

1.AI子連れ狼

 さて、今回の作品はオリジナルSFということで否が応でも期待が膨らんでしまう訳です。どんな感じになるのだろう、と思ったらいきなりの架空AI歴史ニュース映像でテンションが大変に上がる。こういうどっかで歴史が現在の我々の生きている世界線からズレたところからの過程を描いてくれるとこの後の世界が実存するのだ!という説得力を生みますね…と思っていたんですが、正直ここの映像はこの後の世界観にそんなに影響を与えなかった気がします。言ってしまえば、この映像がこの映画のピーク。残念。

 話としては人間対AIの戦争になったなかでAI側に潜入捜査していた男が流れ流れて、AIの神・ニルマータの作った兵器アルファ・オーである子ども型AIと旅をする、っていう話。主人公のジョン・デヴィッド・ワシントンの感情が人間同士の恋愛だったはずの奥さん・マヤへの思いから、アルファ・オーこと、アルフィーとの疑似親子(疑似じゃなかったというか、疑似というのか良く分からんが)の方に舵を切っていて、なんか迷子な感じ。じ、実はマヤがニルマータだったんだ!!!が別にサプライズでもない上に、じゃあニルマータは一体何がしたくてアルフィーをあっこに預けていたんだろう、みたいな全体に良く分からないぼんやりした進み。ケン・ワタナベは基本的に説明したら油断しては「探せ!」とずっと言っているし、追いかけてくる加害者人間チームもなんか行き当たりばったりで本当に人類とAIの戦争をしているのか不安になる。まあ地獄の黙示録っぽいぐらい。

 極めつけは、アルフィーの能力が機械制御で、その能力もどんどん拡大していく、っていうところ。その能力自体はとても良く分かるし、AI対人類の戦争においてそうなっていく必然は分かるんだけど、そこに相対する人間サイドもめっちゃ機械使いまくっていて、いやいやそれで制御が失われた!とか叫んでいてもなんの緊張感も観客は感じない。そりゃそうだろ、でしかないし、結果アルフィーに能力を発動させるかどうかは話の展開で必要な時だけね、っていう雑さ。ちっともAIの神を扱えていなかった。ゴジラは神のままだったから扱えてたんだね、神を制御しようとしてもギャレスにはしんどいのかしら。

2.アポカリプス・ナウ

 結局のところ、この映画が描きたかったのがSF的な世界じゃなかったっていうところなんだと思います。ニューアジアと呼ばれる雑多なアジア世界の中でロボットたちが人間と共同生活を営んでいるところ自体は映像や画として興味深くはあるんだけど、人間とAI、そして機械というところの描き分けが全然ない。『ブレードランナー』でもう感動しつくしたよりも浅っい話しかしていない。うん。

 それもこれも、完全に人間対AIとか言いながら、西洋対アジア的な、はっきり言ってしまえばアメリカの侵略戦争を皮肉っているというか、批判している内容になっているから。ニューアジアの世界観とか言っているけど、ベトナム戦争であり、まあ結果的に悲しいかな、タイムリーになっているようなイスラエルをめぐる諸問題なんかですよね。AIも人間と人間でない何かを分けるものというより、人間の一種、人種的なマイノリティーとしての描かれ方に留まった感じ。その割に核爆弾の扱いとか、特攻兵からのアルマゲドンとか、直球のアメリカンニューシネマがベトナム戦争に反対して描いてきたことよりもこれも薄味になってしまった印象が拭えない。

結果的に、まさに冒頭で述べたようなアガる架空歴史映像から説得力を感じない雑なアジア感で、ブロムカンプとかの方がよっぽど上手くなりそうな感覚に陥ってしまう。

 丁度最近、NetflixでAIによる自律型兵器についてのドキュメンタリーを見たのだが、こっちの方がよっぽど戦争とAIについて考えていたように思える。ミサイルは発射されたけど、機械制御を失ったから宇宙から落としてもそのまま着陸しただけです、とかそんなの失笑です。

 はっきり言って陳腐と言って良かった内容で、乗れなかった作品ではあるのだが、戦争映画の文法をとったことでそこに対して一定の言い訳が出来たのは事実だろう。即ち、語られつくしているにも関わらず人間の愚かさは未だ変わっていない。過去から照らした未来も人間はクソのままである、ということの補強にはありきたりは一番の説得力を持つ。