抹茶飲んでからマラカス鳴らす

FC東京サポで鷹党のどうでしょう藩士による映画・アニメを中心とした感想ブログ

だから最悪、だから最高。「わたしは最悪。」感想

 どうも、抹茶マラカス(@tea_rwB)です。

 今回は『ドライブ・マイ・カー』の最大のライバルだったThe Worst Person in the Worldの感想です。アカデミー賞のシーズンに時に日本公開が決まっていないと、英題でタイトル覚えがち。見た結果でいえば、失敗でしょうね、この邦題。突き放した言い方の方が冷たくてあってる。「。」をつけるのとか本当にひどいですね。

Verdens verste menneske: NoteBook Of TVseries Verdens verste menneske

WATCHA4.0点

Filmakrs3.9点

(以下ネタバレ有)

1.各章短観

 えー、冒頭出てくる文章がこちら。

本作は序章と終章、そして12章からなる

 …そんなに!?ということで、流石にこれはメモしながら…と悪い癖でこういうのはちゃんと書かないと!となってしまったので、まずは各章タイトルと短観をそのまま張りつけてみます。網羅主義はオタクの悪い癖。

 

序章

 予習で見たこれまでのヨアヒム・トリアーの編集テンポが全然違う!?こんなにサクサクいくの!?
1.ほかの人々

 家族パーティ。
2.浮気
 名前も知らないのに秘密の共有でトイレ見せ合い、煙草の吐き出した煙吸うとかなんというか。でも浮気じゃないといって別れる
3.#Me Too時代のオーラルセックス
 さっきの秘密の共有でも言われた、勃つ前が好き。ピークじゃない、何かになれるかもしれない自分を重ねてる?でも男性が監督脚本している映画で、何者かになりたい女性を男性器に重ねるのはひどすぎるし違うか。そういうことを考える私がダメや。
4.私たちの家族
 誕生日パーティーに来ない父。30歳での母、祖母、曽祖母、そのまた母の母の母の…。30歳。大人ね。
5.バッドタイミング
 あの人と…あっ、あの人は彼女と一緒。でもこっそり会いに来てくれた!トキメキ!
 コーヒーは?で時間止めた!?それで会いに来ちゃったのはアイヴァンのところ。彼だけ時間が動いてる。この2人だけの世界。戻ってきてからの別れ話。そう、別れを決断した瞬間を劇的に見せたのだ。「私の人生なのに傍観者で脇役しか演じられない」別れて解決するか?という彼の問いは最もだ。でもまだ役を決めたくない。30歳でも子鹿だ。
6.フィンマルクの高山
 DNAを調べて、自分のルーツを知る。そして目覚める。いわゆる意識高い系だ。SDGs。でもそれを裏切る罪がまた甘美
7.新しい章
8.ユリヤのナルシスなサーカス
 古い麻薬見つけてトンだら舞台演劇風になるわ、ユリヤの体は老婆のようになるわ。と思ったらお父さんにバイブ投げて元カレの漫画のキャラに子どもに演劇の観客になんやそれ
9.ボブ・キャットXマスをぶち壊す
 4章ぐらいで見せてた元カレの漫画の映画化のタイトルね。元カレが完全にキャンセルカルチャー的にやられている。彼もまた最悪でもある。
10.文化への不満
 元カレアクセル、膵臓がんで末期くさい。
 捨ててた文章を読まれてキレてしまう。あーあ。50歳までコーヒー出してれば?私は御免よ?いやそれ言う?
11.陽性
 早速嘔吐!ということで妊娠陽性です。そのうち恋人ができて子どもが欲しくなるかも?のアクセルの予言が当たる形に。
 アクセルはヘッドホンでユリヤの来訪に気付かない、というリフレイン。アクセルは最初は腰痛だと思った、これはお父さんへのリフレイン。
 「君はいい母親になる」「君はいい人だ」
12.すべてのものに終わりがある
 流産?生理?
終章
 ひどい演技だった、と語る女優は、しかし撮影現場を出ると母と妻の顔で笑顔だった。子どもとパートナーのいる生活を選ばなかった。でも、何者かにはなったかもしれない。

2.私は最悪、だから私は最高だ

 世界で一番悪い人、っていうタイトルで始まっていて、実際に描かれているのは、大概倫理観の無い女性。30歳を通過するタイミングで、何者かになりたいんだけど、何者かになれることを信じるだけで、どうにも上手くいかない。何者かになりたいんだけど、何者かになってしまうことで固定され、可能性が無くなることを嫌っている感じすらある。だけど、それって、何者か、っていうことを決めるのって誰なんだろうか。自分?周囲?神?それとも自分の人生を劇と捉えた時の観客?この作品では、それら全てが各々で決めると答えてくる。そしてそれは固定化されたものでもない。前半のユリヤのパートナーとなったアクセルは、ユリヤにとって最高の関係性に見えるし、彼自身そう感じていた。自らの死の恐怖に耐えられずやってきた早すぎる走馬灯、でも彼は断言する。「君はいい人だ」。一方で、彼自身もクリエイターとして、テレビに出た際に初期のコメディの悪ノリ感、差別意識を指摘され、公的には差別者にも見える。その人にとって最高でも、世間から見たら最悪だってことはざらにあるんだ。そういう考え方は、『母の残像』っぽさは感じたかなー、とやっと監督の過去作との接続を見てみたり。この作品はオスロ三部作の最終作らしいのに、予習した中にオスロ三部作は見てねぇ。

 ユリヤは結局、何者か、としての道を歩き始めて映画は終わる。彼女自身の人生は本当に始まったばかりだし、今後も彼女は最悪かもしれない。でも、彼女はもう、誰もが自分を最悪だと思っていることをわかっている。だからあんたは最高だ。

 

 それにしても、アラサーで見るとこの映画はこう、致死性が高い…