抹茶飲んでからマラカス鳴らす

FC東京サポで鷹党のどうでしょう藩士による映画・アニメを中心とした感想ブログ

「オッペンハイマー」に何を求めたのか

どうも、抹茶マラカス(@tea_rwB)

 スマホだけで帰り道で書いているので割と浅めです。ゆるしてちょ!

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WATCHA3.5点

Filmarks3.4点

(以下ネタバレあり)

 

1.そもそもちらほら

 まあほら、公開まで時間がかかった上に公開してからもちょっと経ったので色んな前情報が放っておいても入ってきますのでね。混乱はなかったです。後から思い出せなくなりそうな危険に対処しておくために書くと、基本視点はカラーのオッペンハイマー赤狩りに遭う非公開の聴聞会とモノクロでロバートダウニーJr演じるストローズが商務大臣に指名されるのを承認するかどうかの公聴会(トランプ政権の時とかこれが通る見込みが無くてポストが空いてることがありましたね)の2パート。だが、互いにあの時どうだったんすかね、と訊かれて回想し出すので時系列が無茶苦茶になるような錯誤が生まれるのだろう。毎回キッカケの質問をくれてれば混乱はしないが勿論クソつまんなくなるだろうし、まああの回想に出ていたあの人が今ではこうです、が説明なく出てくるのでややこしいのは事実だ。ラミ・マレックとかどこにおったんや!となりましたし。

 それでも後半になればなるほど楽しくなるのは事実であり、それはオッペンハイマーがくらった罠とも言える聴聞会の構造的な部分、裁判じゃないから云々とかそういうのが仕掛けたストローズに返ってくるっていう因果応報が畳み掛けてくるという面白さであって、別にオッペンハイマーという人が面白いわけではなかった。ノーランはオッペンハイマーという人を完全に理解するために別の人の視点を入れたかったというが、個人的には全く信用できねえというか、単にストローズという人物の負け犬っぷりが魅力的でオッペンハイマーの生涯だけでは足りなかった、ということではなかろうかと思ってしまう。一応本作は原作があるので原作がそこも描いているんであれば申し訳ない。ただ、それほどまでにストローズは魅力的なクソ野郎だった。オッペンハイマーの見聞きしたことだけを描きたいから日本の被爆シーンは直接的に描くことはしないけど、彼のことを客観的に見る視点として別の人を準備しました、は詭弁だろう。日本の被曝を描ききれていないことは事実だとは思うが、なんというかノーランさん単純にこの題材を本当に描きたかったんですか?という気持ちになる。そう思ってしまうと今回の時系列混ぜるのも単に目眩しなんじゃないのか、という疑問すら浮かぶ。っていうか目眩ししてたにしても会話のテンポが一定でつまんないとこ結構あったけどね。

2.被害

 ちなみにみなさんは広島の原爆ドーム平和記念公園などに行かれたことはあるだろうか。単純に広島も長崎もメシがめちゃんこ美味しいので旅行先としておすすめであり、どちらもサッカー専用スタジアム(長崎は2024年10月開業予定)もあるのでJリーグ遠征としては最高の場所であると言っておきたい。その上で、それぞれの資料館を、なんなら長崎は8/9に訪れている人間としては今回の描写は足りないよね、とは当然に思う。レーティングの問題かもしれないが、オッペンハイマーはちゃんとロスアラモスでの報告会に出席して画像を出されているのに直視はしていないし画面もそれは捉えない。史実としても広島や長崎を訪れることはなかった。向き合い切って無い。一瞬で焼け死んで焦げた影だけが残る建物とか見てないわけ。彼の葛藤を描くならここでしょ、と思うのだが、話はストローズにやられるという極めて内向きにシフトしてしまう。その上で、トリニティ計画におけるプロジェクトX的な達成へのワクワクを前面に押し出して中盤を展開するあたり、作ってしまったことへの反省、パンドラの箱を開けた後悔が見えないというか。

 ノーラン曰く、オッペンハイマー核兵器を開発した先が見えてしまっているから葛藤するというが、その葛藤は見えずナチス憎しで邁進しているようにしか見えなかったし、じゃあ葛藤してます、後悔してます、でしかなくその結果彼がどう向き合ったかを描かずにいる。

 そこのゴールとして、基本スタンスとして核兵器を使ってはならない、もう核廃絶に向けていこうのポーズだけは現代エンタメを作るんだったら取って欲しい、誰かを死なせる方向の科学は良くないよ、が前提であると思っていたけどどうもそこは共有できる前提じゃないっぽいという感想になる。ノーランはこれをみて核兵器の恐ろしさを知って欲しいとかクロ現かなんかで言ってたが、これを見ても赤狩りの時はバカがいて偉大な人を排斥しちゃった、てへぺろ(・ω<) ぐらいの感想しか抱かないよとしか思わない。この映画見て恐ろしいって思える人は見なくても思ってるよ、多分。少なくともハリウッドとして『エターナルズ』よりは後退してる。

ヒロシマナガサキで持ってる写真から。ごくごく一部ですが。

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3.アンサーは山崎貴

そして何より、科学と武器という側面を攻めるときに初代ガンダムを下回っていることは考えなくてはならない。技術を進化させていこうとそれを使う人間の愚かさ、戦争の悲惨さをしっかり描いてきたのがガンダムであり、作っておいて責任を放棄するような『風立ちぬ』が私は嫌いな訳で。そこに科学者が作った側としてどう責任を果たしていくのか、という点でアインシュタインはちゃんとそれを果たそうとはした。ラッセル・アインシュタイン宣言とか、パグウォッシュ会議だ。オッペンハイマー氏自体がどこまで彼の責任を感じてそこに尽力したのか、それは全く語られなかったので私は知らない。だが、少なくともそう言った関連を描くことをこの映画は拒否し、それがオッペンハイマーを「完全に理解する」ことだとした。そう意味では、これまでのノーランは科学を信用して突き詰めて映画に転用してきたのに、今回は科学と映画の危険なところに思いっきり目を瞑っていて、それって逆に科学を信用していないというか、SF的な科学への信頼も別に大して持ってなかったのかもしれない、と疑わせるような。

そう解釈するなら、この地球に核兵器がなくなることはないんだろうなと思ってしまう。宇宙人でも襲ってこない限りは(そして『三体』を賛美する文章が続いていってしまうので割愛)。あ、アンサー映画は山崎貴じゃなくて富野御大の作品を何本か出す、それだけで解決な気はしてます。というか富野由悠季と戦争、もう少し深堀してなんかの本を読まないとな。