抹茶飲んでからマラカス鳴らす

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命の選択を「PLAN75」感想

 どうも、抹茶マラカス(@tea_rwB)です。

 今回はカンヌ国際映画祭である視点部門にノミネートし、新人監督賞であるカメラドールでスペシャル・メンションがなされた作品になります。私は未だにカンヌのある視点部門っていう言葉の意味が良く分からないし、スペシャルメンションの意味も良く分かっていません。カメラドールを獲ったの?獲ってないの?

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WATCHA4.0点

Filmarks3.8点

(以下ネタバレ有)

1.ベルトコンベアで死に送る社会

 舞台となるのは近未来日本。高度高齢化社会が到来し(既に到来しているような気もしますが)、若者の負担が凄まじくなったことで、高齢者襲撃事件が多発。これを解決する為に難航していたPLAN75という75歳になると生死の自己決定権を得る、とでも言えばいいのでしょうか、まあようは安楽死を認める制度が施行される、という話。

 まずはアバンで、その高齢者襲撃事件を定点からの横移動のカメラで見せ、十分なインパクトを見せ、PLAN75の対象年齢としての倍賞千恵子サイドと、制度側の磯村勇斗サイドを見せ、そこで制度説明もしっかりする。カンヌに呼ばれるだけあって、この辺は説明なのにスムーズだし、この後は基本的に観客の読み取りを信頼していることが伝わるから最低限の説明だったんだな、っていう納得も出来る塩梅。

 すっごく嫌な気持ちになるのは、積極的に社会の側が殺しに来ているっていうこと。75歳になったら、尊厳死ですよ?孫世代の為に!みたいな大義を整え、プランに申し込むと10万円を支給して最後の楽しみをせい、という引き込む方の要因も準備している。本当に嫌だけど、でもありそうなのが炊き出しの横にブース出展してるやつ。死にやすいやつから転ばせていこう、っていうのがプンプンする。でも、施策の効率化を図るんだったら、明確にそれがいいのも分かるし、火葬とかの合同プランを無料で推進するのも良く分かる。分かるのがまた自分が嫌いになる。死体の遺品整理では、外国人を雇用し、穢れから逃げようという精神も嫌だし、本当に公は嫌になる。でも、そうやって高齢者をモノ扱いして、工程を踏むように送り出していくことが最適化された社会なのだ。

 じゃあ民間がどうしているか、と言えば決して暖かくはない。炊き出しでそっと倍賞千恵子に手を差し伸べる人、声の演技だけで情が移ったのがちゃんと分かる、またしても須素晴らしい河合優実、結局自分の思いに走って死体を「弔う」ことを選んだ磯村勇斗。それぞれの末端は、人として接することで人間として扱ってくれる人はいる。でも、勤務中に一人倒れたことで、高齢者が一斉に首になるし、そのあとは雇ってもらえないし、事故物件になることを恐れて新たに家を借りることもできない。高齢者の住居問題や、これは公の方だったが公園のベンチを寝づらくする話。この辺はもはや現在進行形ですらある。

2.現実がSF化している。Arcの先へ

 題材を考えると、やはりすぐに思い出すのは石川慶監督によるケン・リュウの映画化『Arc アーク』だ。あの作品は、死体の物質化及び不老不死になることに伴う生死の選択権の話だったが、本作もまた生死の選択権を考える話だ。

 だが、Arcと本作が、あるいはこれまでのいわゆるディストピアSFが決定的に異なるように感じたのは、その撮影方法、というか描かれた風景だ。団地、踏切、役所。その手法は、ドキュメンタリーと見紛うリアルさで、フィクションであるなら普通に現代劇だ。そう、近未来だからといってそう見せるようなシーンは殆ど無く、安楽死するために並べられたベッドも、コロナ禍を経ては、もはや特別なものには見えない。

 もはや、近未来を表現する、あるいはディストピアを表現するのに、何らかの装置が必要なくなっている。Arcが実写化されてから、まだ1年しか経っていないのに、現実を映せば、それがディストピアにも見えるようになっている。

 この作品では、75歳以上の安楽死を扱ったが、そんな社会にしてしまうか、問われているのは遠い先ではなく、もはや今の人類だろう。

 ちなみに、『Arc』を撮った石川慶監督と早川千絵監督は『十年』というオムニバス映画で作品が並んでいて、その時の短編を長編化したのが『PLAN75』なのだ。香港版しか見れてないのよね…