抹茶飲んでからマラカス鳴らす

FC東京サポで鷹党のどうでしょう藩士による映画・アニメを中心とした感想ブログ

この世界に希望はまだあるか「すばらしき世界」感想

 どうも、抹茶マラカス (@tea_rwB)です。

 今回は、そんなに見る気が無かったら愛聴するTBSラジオ「東京ポッド許可局」の報連相のコーナーにてお便りが読まれただけでなく、イベントスポンサーにもなっていたと知って鑑賞を決意した西川美和作品。西川美和監督は河瀨直美監督と並んで何故か一作も見ていない監督だったのでいい機会。監督は許可局員とのことなので、これからも過去作を見ていこうと思います。

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WATCHA3.5点

Filmarks3.4点

(以下ネタバレ有)

 1.13年ぶりのシャバはつらいよ

 本作は…ジャンルでいうと何になるんでしょうか。初めに言ってしまうと、それが分からないまま進んでしまって、この作品にイマイチのめりこめなかったんですが。

 主人公の三上は殺人で服役、しかもなんか刑務所内で結構な面倒を起こしたようで独房が長かったようで、いわゆるシャバだけでなく、人付き合いそれ自体がアカン感じ。まずは出房から描かれ、その時点で三上は起こした事件については尚不承不承な雰囲気があからさま。コイツ追っかけるのか、と少し不安な感じに。

 ここからはシャバに出てきた彼が刑務所生活がちっとも抜けずに悪戦苦闘しつつ、社会復帰の為に頑張っていく様子を見せられるんですが、撮り方はどっちかといえばカルチャーギャップコメディに近い感じ。自動車教習所での刑務所歩きとか、この手の映画なのに劇場では笑いが起きてました。この三上のギャップを見る視点っていうのは、劇中で長澤まさみがテレビのネタにするために彼を撮っている視点に近いという感じで、どこか気持ち悪いというか、嫌悪感を感じます。

 そんな三上は上手くいかなくて結局暴力沙汰をカメラの前で起こすし、且つての兄貴分を頼って九州に行っちゃうしで、ああもうダメ。やっぱり彼は世間に馴染めないのか。ところが、彼が出会ってきた人たちはそんなに悪い人たちじゃなかった。映画を見た順番の関係上、午前中に「ヤクザと家族」でバリバリのヤクザだった北村有起哉ケースワーカーとして親身に職先を世話してくれるし、身元引受人の橋爪功梶芽衣子夫妻もいい人たち。スーパーの店長六角精児は「飢えた人に魚を与えるのではない、釣り方を教えるのだ」的な、奉仕部的精神で自立を支援してくれた。そして何より、最初は興味本位、生活の為だった仲野太賀は母探しも手伝ってくれて、背中を流してくれる存在に。ああみんないい奴じゃないか。本当に更生しようとしたとき、いわゆる一般の世間は冷たいのかもしれない、でも個々人で見れば、ちゃんと三上という人を見て、判断して優しくしてくれる。捨てたもんじゃない、世界。

身分帳 (講談社文庫)

身分帳 (講談社文庫)

  • 作者:佐木 隆三
  • 発売日: 2020/07/15
  • メディア: 文庫
 

 

2.取らないでほしい方向に進んだラスト

 見ていて不安だったのが、繰り返される降圧剤を飲む描写。1度市役所で倒れているし、高血圧がかなりの問題になっているのは分かります。ただ、その時医者にもキレられてるんですけど、どう考えても安静じゃないですか。生活保護も貰っているんだし、取り敢えず休んでほしいのに三上は遮二無二頑張る。彼自身は、生活保護を貰って暮らしていることに負い目を感じているのでいいんですが、周りが止めてあげないとダメでしょう。じゃないと生活保護を貰って暮らすことが悪い、という方向の結論になりかねない。「最後は生活保護もある」とか言い出す国なんですから。

 なんか話が逸れちゃいましたね。そこで何が不安だったかっていうと、三上が死んで終わらないよね?というのが不安だったんです。三上が社会復帰に苦しめば苦しむほど、彼が本当に社会復帰できるのか、あるいはまた反社会的組織に戻ってしまうのか。そこをはっきり描かないといけないと思っていたので、彼が病死してしまうとそこがグレー決着になってしまう。

 残念ながら本作はそのグレー決着をしてしまいました。あまつさえ、5年以内再犯率の話まで最後にぶち込んでいます。それをナレーションで言うなら、三上のここからの5年を追わなきゃダメですよ。耐えて、耐えて、耐えても5年以内に戻ってしまう可能性が高い。だから復帰がストーリーとして成立するんじゃないですか。一瞬の希望を抱いてそれで終わるのは、どうも納得がいきません。

 もう一個。納得がいかないのが、三上が身を入れ替えたように考えられる福祉施設でのシーン。ケースワーカーに斡旋されて得た職場、みんなが祝ってくれた就職。そんな中で、障害のある職員へのからかい、陰口やいじめのような場面に遭遇しても、三上は見て見ぬふりと笑ってやり過ごす、「逃げる」ことを覚えた、これでもう失敗しない、という展開です。勿論これは、仲野&長澤との焼き肉の帰りに義憤でヤンキーをボッコボコにしたのと対比させて成長を描いているつもりなんでしょう。でも、それって成長ですか?三上の瞬間湯沸かし器なのは、確かにいけません。殺傷能力を伴う暴力はやめる必要があります。だから、職場で一瞬夢見たモップで連打攻撃をしなくなったのは成長です。でも、押し黙るっていうのは両極端が過ぎるのでは。不正義を見かけて、暴力かスルーかの二元論に落とし込むのは違うと思います。これまで彼が暴力に頼ってきた正義感の発揮を違う形、それこそ彼が苦手としたコミュニケーションによる形での発揮にしてこそ、成長、やり直しが描けるのではないでしょうか。