抹茶飲んでからマラカス鳴らす

FC東京サポで鷹党のどうでしょう藩士による映画・アニメを中心とした感想ブログ

ブラジルの村がgoogleマップから消える…?「バクラウ 地図から消された村」感想

 どうも、抹茶マラカス (@tea_rwB)です。

 今回扱うのはカンヌで評価されたブラジル映画。「パラサイト」「レ・ミゼラブル」とこれが同居しているなんて、芳醇すぎるな、この年のカンヌ。

 という訳で見事に年間ベストランキングに異常発生の大ヒット作の感想をどうぞ。

 これいい顔してるジャケットだな…。

Bacurau

 

WATCHA4.5点

Filmarks4.6点

(以下ネタバレ有)

 

1.一体その村で何が…?

 さてさてもう要素が多すぎる本作。さっそく時系列で思い出していきましょう。

 まずは祖母の死を受けて帰郷。宇宙から地球にパンしてさあこの世界遺産はどこでしょう?の東大王みたいな始まりでした。まあミスディレクションなんですけどね。

 んで、帰ってくると割とバクラウ村の平凡な日常が描かれるんですがちょっとずつ異変が。長閑な学校では先生がバクラウをgoogleマップで探すのですが、あるはずの場所に存在しなくなる。それから、選挙を控えた市長が救援物資を持ってくるんですが、どうも賞味期限切れだったり、トラックの荷台の本を不躾に落としていって寄付とかいってるし胡散臭いし、村は対立している感じ。そして極めつけでUFO出現ですよ。Googleマップがここまで堂々と出てくるのにあの円盤型のUFO。ここからギアが一気に上がって、生命線の給水トラックのタンクが撃たれている、夜中に農場の馬が村に逃げだしてくる、村のはずれの住人は殺されている。もうわけわかんないことが起こりすぎてて最高なんですが、それでもこの映画最後まで住民たちは感情が爆発してないで淡々と過ごしているんですよね。それがまたいいんですが。

 んで、まあ結論から言ってしまえば市長がアメリカ人を雇って村を存在ごと葬ってしまおうとしていた、というのが異変の原因であり、それに対して村側は一斉に反戦、みごと撃退、どころか「ランボー ラスト・ブラッド」のような大殺戮を達成しましたとさ、めでたし、な終わり方でした。

2.いろいろと想起させる他作品

 この映画は、色んな映画の中間にあるなぁと思う、というか型やジャンルに嵌め難い印象が強く、雑多ではありますが、そういう想起したものを挙げていきたいと思います。

 まずは、最初にいきなりいっぱい路上に散乱してしまっていた棺。乾いた大地で死を予感させる棺の感じは、明らかに「荒野の用心棒」を想像させます。そして、当然「荒野の用心棒」であるならば、黒澤明の「用心棒」でもある訳ですが、そういう意味では「七人の侍」で侍たちがおらず、農民たちが自衛した、みたいな感じでもあります。

 また、音楽ではこれからだ!と盛り上がってくる感じのところやオープニングで電子音が使われており、遊星っぽいな、と思っていたらジョン・カーペンターの曲をそのまま使っていたんですね。全体を通して、完全な殺戮エンタメなのに社会派映画でもあるので、その文脈でいうとカーペンターが「アポカリプト」の設定を現在にして撮った!というのが一番的確な印象です。何故「アポカリプト」なのかは後述。

 

 それから、なんといっても全くモザイクのなかった自然派全裸おじさんの一撃なんかは、S・クレイグ・ザラー監督の匂いも感じました。あの頭部をショットガン一撃で破壊してむしろ笑えてくるのは、かなり近いと思いますね。

3.俺たちはここにいる。存在を無視するな!

 さて、ここからはこの映画が如何に社会派でもあり、そして「アポカリプト」なのか、を語るターンになります。

 まあ正直言ってしまえば人間狩りな訳で。それっていうことは、その時点で持てる者である白人層が持たざる者である現地住民を狩るというある種植民地的な支配を行うことのメタファーであり、それに反抗する物語な訳です。地図から名前が消える、という現象が最も象徴的でしょう。それは侵略そのもの。

一方で、本作においては狩る側も一枚岩ではなく(まあよく考えたら狩る側が1枚岩なことってない気がしますが)、例えば中盤でバイクでバクラウを訪れ電波妨害装置をこっそり設置していくカップルなんかのことはしっかり連中の中では差別されてますね。んで、このカップルが来ることは、一応作戦上の電波妨害の為に必要ではありますが、それ以上に重要であり、それはバクラウ村博物館への訪問を薦められたのに行く素振りも無く帰ったこと。まあ人間狩りの準備に来て、狩る対象の村の歴史勉強していくのもおかしい話なんですが、じゃあこのバクラウ村にはどんな歴史があったのか。いよいよ村に侵入され始めてからようやくその一部が分かる訳ですが、非常に反撃する能力と歴史を持った村で、壁面にはコルトやらの銃もあった訳ですね。原住民舐めんな!ですよ。

 銃を構えて反撃する村人たちの面構えがまた最高なんですが、ここで終わっていないのが非常に重要にも思えて。ウド・キアの演じた人間狩りのボスはほかの連中のように生首にされることなく、住民たちの避難していた地下牢に閉じ込められ、そしておそらくは上から土をかぶせられて二度と出られないのでしょう。でも、彼はラストにこのままで済むかと吐き捨てる訳です。これまでの物語で、その場所の住民や歴史を無視した侵略はしっぺ返しを食らう、という寓話を描いた訳ですが、じゃあ翻って現在はどういう状況なのか。どう頑張っても進むグローバリズムに、ブラジルではアマゾンが伐採され続け、いくつもの民族が名前を奪われているでしょう。どんなにしっぺ返しがあろうが、白人側によるそうした一種の侵略は止まらない、という暗示にも感じます。そうです、だから「アポカリプト」なのです。あれはマヤ怖え、からのラストで西洋文明がやっはろー!な作品でしたね。その鑑了感を感じるのです。

 いずれにしても、解釈はともあれ、本作が非常に娯楽性豊かなエンタメでありつつ高度に社会的である、という作品であることは間違いありません。