抹茶飲んでからマラカス鳴らす

FC東京サポで鷹党のどうでしょう藩士による映画・アニメを中心とした感想ブログ

境界線上で描かれる至上のガールミーツガール「ウルフウォーカー」感想

 どうも、抹茶マラカス (@tea_rwB)です。

 今回はおれならで渋谷に行くってことでそのおとなりの恵比寿に足を延ばして恵比寿ガーデンシネマにて鑑賞してまいりました、トム・ムーア監督によるカートゥーンサルーンケルト3部作最終章。あ、3部作といっても、テイラー・シェリダンのフロンティア3部作みたいなことなので、全く関係のない独立したお話。

 時間が許すなら劇場に駆け込むことを強くオススメします。

f:id:tea_rwB:20201103101958j:image

WATCHA5.0点

Filmarks4.9点

(以下ネタバレ有)

 

1.◇と〇。境界線上の物語

 やっぱり本作において強調されるべきなのは、最高のシスターフッドものだ、ということ。ガールミーツガールとして極めてよくできている。

 主人公は城壁の中で暮らすハンターの娘ロビン。1650年のケルトにおいて確実に男の職業であるハンターを夢見ており、また母のいない父子家庭という点で、彼らは決して普遍ではなく、ある種の異端だ。そして対になるウルフウォーカー、起きれば人間眠ればオオカミの娘、メーヴは町から迫害されるオオカミを率いているし、彼女も母と2人親子であり、普遍的な家庭像とは離れている。

 このように対照的な両者が、アニメーションの上でも対比的に雄弁に語られる。ロビンの住む城壁の中は、人間も、建物も直線的なデザインになっており、幾度か見える城壁の俯瞰図も長方形である。そして、彼女がハンターとしての自分を表す姿もまた頭巾を被っての◇である。また、後述するが、彼女が城壁だけでなく、家庭内でも囚われている様子が印象的な彼女の寝床の窓もまた□であり、そこには直線で鉄格子のように描かれている。翻って舞台が森になると、ファーストルックで木の枝が曲線的に描かれるように、メーヴたちの髪やオオカミたちの出で立ち、特徴的な森の中の場所。様々な場所が〇で構成されている。

 そして、メーヴに出会っていくにつれ、ロビンは◇から〇を獲得していく。それが非常にうまく表れているのが、2人がぶつかってゴロゴロと転がるシーン。ただ転がっているのではなく、彼女たちは一つの円となって転がっており、それは2人が分かりあっていく相互理解を示すものだろう。

 オオカミと人間の中間という、完全な境界にいるメーヴと、城壁の中の男性的・キリスト教的な社会に馴染めないロビン。この境界線上にいる2人のガールミーツガール、そしてシスターフッドが物語を幸せな空気に包む。

2.あらゆる解放を謳う

 ロビンとレーヴにとどまらず、あらゆる対比と、解放がこの物語では語られる。

 まずやっぱり分かりやすいのは、自然と開発の対比だ。そもそもオオカミ退治は森を切り開き農地とするためであり、オオカミたちも既に安全な場所への退避それ自体は方策として考えている。しかし、メーヴの母が囚われており、動くに動けない状況。まさしく、自然を完全にコントロールしようとする人間の業であり、物語が若干自然isサイコー的な方向に行ってしまうが、許容範囲ではないだろうか。

 次に、男性と女性の対比であり、親と子の対比だ。ロビンの父はハンターとしてどうしてもオオカミを狩らねばならないが、その前提は護国卿(まあこれはあの悪名高きクロムウェルだとすぐわかる)の命令を遵守することにある。決して彼自身に悪気はないのが分かってはいるのだが、冒頭帰宅早々女は家事をサボるな、家にいろ、城壁から出るな、を繰り返す姿は女性への抑圧を感じさせる。そのうちにロビンは城の下働きに出され、そこでの老婆に言われる、言われたことだけやっていれば問題ない、という発言が、システムにロビンを取り込もうとするようでこれもまた抑圧的。このあたりで彼女自身もウルフウォーカーになって自由を感じるのも無理はないだろう。こうしたすべての元凶と言える護国卿の持つ権威主義的で、封建主義的な考え方が一般だった時代とは言え、終盤の展開はそこからのロビンの父の解放も描かれてサイコーにテンションが上がっていく。そう、ロビンの父も、メーヴの母も子どものためを思って発言・行動していることに変わりはなかったのだ。

 そうそう、護国卿と言えば、当然出てくるのはキリスト教的価値観からの解放でもある。ロビンとレーヴについて、異端という表現をしたのもこの観点が念頭にあるからではあるが、護国卿は常に主の教えに則っている、あるいは則っていると自分に言い聞かせている。調べてみれば、舞台となっている1650年のキルケニーは前年までにカトリックによって統治されていたが、ピューリタン革命によって混乱期にあり、クロムウェルの遠征などが行われていたようであり、カトリックイングランド国教会が錯綜しており、宗教対立が起きていたわけである。ウルフウォーカーによる治癒の能力なんかを魔法や魔術と市井の人々が称していたのも、魔女狩りなんかを想起させる。ここでちらっと大事なのは、護国卿は滝つぼに身を投げて命を落としたが、殉教だったことだろう。そうすることで、彼自身の価値観自体が強く否定されたわけではない。

 確かに、途中途中ちょっと展開の為に強引に見えるところが無かったわけではないが、それを差し引いたとて、大傑作であることに疑いはない。アカデミーの長編アニメーション賞最有力のSoulがディズニー+配信になったことで、カートゥーンサルーン初の受賞もあるのではないだろうか。