抹茶飲んでからマラカス鳴らす

FC東京サポで鷹党のどうでしょう藩士による映画・アニメを中心とした感想ブログ

「二人ノ世界」感想

 どうも、抹茶マラカス(@tea_rwB)です。

 今回はTwitterでレクさんやTomさんが絶賛していた上に、似ている映画としてカメさんやボクテクンがベスト級の扱いをしていた「淪落の人」が挙がっていたので何!?なんて注目していましたが、上映館が少ない!見に行くのが大変だ、遠い…と嘆いている人たちが多…地元じゃねぇか!!!!

 えー最寄りの映画館を田舎扱いされて怒り心頭に発する状態となった私は、何かの義憤にかられて鑑賞することを決めたのであります。

 見に行って良かったけど、いいですか東京以外の方。23区を出るとこういう扱いです。引っ越しの際はお気をつけてください。多摩地域に栄光あれ!

二人ノ世界

WATCHA4.5点

Filmarks4.4点

(以下ネタバレあり)
 

 1.心と心の殴り合い。それこそがコミュニケーション

 この作品は脊髄損傷で首から下が不随となった俊作と、視覚障害を持ちながら彼の介護ヘルパーとなった華恵の2人の物語。

 事故を未だに受け入れていないからか、あるいは無意識の差別や憐憫を感じ取るからか、やってきたヘルパーに完全にアウトなセクハラをかます俊作。そこでラジオで求人をするも、やっぱりアカン職場なことが露呈した中で、それでもやってきた華恵。そこで行われる最初のコミュニケートがいきなり素振りなしで殴り合うかのようなぶつかりあい。その前段で書かれたヘルパーさんが悪いわけではないんですが、華恵には俊作への同情とか、憐憫とかを欠片も感じないんですよね。それは配慮が無い、というよりも今までの誰より真っ当に人間として扱われていた感覚。対等に喋れているかのような。

 だから、この先で両者が関わりながら互いを信頼していき、心を開いていく過程はゆっくり、しかし確実に観客の胸を打つものだし、俊作が外に出るようになって、初詣の境内で「邪魔や」なんて言われるところでは、完全に感情移入。そこから華恵の家族の話のターンになって、今度は俊作が取り戻しに行こう、なんて誘う場面は、ああ、俊作から外の世界に出ていこうとしているよ!と応援しか思い浮かばない心持。

 誰もが思い浮かべるだろう「最強のふたり」では、経済格差、人種、年齢の壁を超えて互いの共通言語となるのは音楽だったりしましたが、本作では障害。「何にもでけへんだけで普通の人なのに」というその感覚。簡単に共感できた!とか、泣ける!なんて言葉で片づけたくない、言語化したくない感情に囚われました(だからブログを書くのも鑑賞から1日経っているという珍しいパターンです)

2.現実や自由を内在化している自分

 劇中、俊作と華恵と敵対?というか、対峙することになるのは、俊作の親類と華恵の元夫。

 俊作の親類は、視覚障害者が介護して何かあったらどうするんだ、と迫り、いざ本当に痙性、まあおそらくは筋収縮が起きて大事になると、かなりきつい言葉で解雇する訳ですね。その段階で華恵は、家族を奪われていて、それでも唯一得たつながりを失い、それは父を亡くしたばかりの俊作にとっても同じ。実に残酷な仕打ち。

 今作ではかなり露悪的に描かれているし、それまでちっとも出てこないので親類を非難するのは簡単。でも、私は親類の方を責めることができない、と正直思ってしまいます。

 年明け、私の祖父が亡くなりましたが、彼は後年認知症で私たちのことも認識できておらず、そんな状態で祖母と2人で暮らしているのは正直不安で、多分私以上に父母も心配していたはず。そんな状態の祖父を視覚障害の方が介護しにきた、しかも資格もない、なんならどう誑かしたのか知らないが、全財産を管理できる状態にある。本人の為を思って、施設に入った方がいい、もっとケアできる人、プロフェッショナルに頼む方がいい。そう思ってしまうのは事実。

 当事者じゃないと分からない心中において、彼らが求める自由や現実が、傍から見ているこっちが設定した自由や現実がずれているとき、それは暴力になるんじゃないか。当事者の声を聴くことなく、配慮の名の下に隔離とか排除をしてしまっていないのか、そんな自分を飼っていないか。ましてや、それを単純に消費していないか。考えてしまいます。

 えー、正直言って、本当に言語化して陳腐になるのが嫌な作品でしたのでブログに書くか迷ったのですが、公式さんや華恵役の土居志央梨さんにツイートにいいねを貰ったので、書くことにした次第です。