抹茶飲んでからマラカス鳴らす

FC東京サポで鷹党のどうでしょう藩士による映画・アニメを中心とした感想ブログ

人生は秘密と共に「ファイブ・デビルズ」感想

 どうも、抹茶マラカス(@tea_rwB)です。

 今回は考察試写会なるものが開かれたという映画の感想。そんなに考察するとこは無い気がする、というか考察って何だろう。感想との違いって何だろう。

Les Cinq Diables – Générique de fin

WATCHA3.5点

Filmarks3.6点

(以下ネタバレ有)

1.見えないを見る

 映画の舞台はファイブ・デビルズという架空の村。なんやねん、村の名前つけたやつ何の怨みがあるんだ。

 そこで暮らすジョアンナとジミーの夫婦にはヴィッキーという娘がいる。そして彼らの下にジミーの妹、ジュリアが訪ねてくるが、彼女は何故か忌み嫌われていた。

 そんな導入で始まる訳ですが、まあじゃあジュリアが忌み嫌われる理由、ジョアンナとジミーのどこか上手くいかない感じが何故なのかを、ヴィッキーが匂いでタイムスリップして見てくるよ、っていう仕掛けになっている作品。

 分かりやすく言ってしまえば、ジュリアとジョアンナはかつて結ばれた存在であったが、ジュリアにはタイムスリップして彼女たちを見ている未来のヴィッキーが見えていた。だが、当然ジュリアにはそれが未来の愛する人の娘とは分からずに火を付けてしまい、それが原因で収監されることに。最初は家庭を壊す存在としてジュリアを認識していたヴィッキーは嫌がらせをしていたが、彼女の挫折の原因が自分であること、母の最も大事な存在が自分ではなくジュリアであることを受け入れて、彼女を助ける行動にでるよ、っていう話。タイムパラドックスを上手く使っているし、子どもの思い込みと能力のかみ合わせを考えながら、我がままになりすぎないように良く制御していたように思えました。

 何より、能力発動のキーになるのが匂いっていうのが良くできていた。分かりづらいんですよね、映画にするうえで匂いっていうのは。途中タバコ吸ってるシーンなんかもありましたけど、煙は視覚化できるんだけど、匂いは視覚化できない。視覚化できないから、いつ能力が発動するのかの緊迫感を持たせつつ、発動させたい任意のタイミングがある場合を考えて、瓶詰した思い出と含めてラベリングすることでの視覚化を図るっていう、これは映像にするのが非常に巧みだな、と感じたわけでございますね。

 もういっこ、目に見えないものの視覚化としては死の匂い。そういうものが直接的に出てくるわけじゃないんだけど、まあヴィッキーの飼っているカナリアは明確に炭鉱のカナリアですよね。炭鉱において、酸素濃度が低下したことが分かるように連れていくのがカナリアで、つまりカナリアが死ぬっていうことは危ないぞ!これ以上行くな!っていうサイン。劇中でも見事にそのタイミングでカナリアは命を絶たれてしまいました。

2.人生には秘密がつきもの

 さて、当然議題に上がってくるのはラストカットでジミーとヴィッキーが一緒にいることを選んだのを見ているのは誰なのか、っていうことですよね。

 個人的には、この映画のテーマは血の繋がりだと思っています。匂いでタイムスリップする能力はヴィッキーのものでしたが、しっかり知覚したジュリアの存在を考えてもジュリア・ジミー兄妹の家系の能力と考えていいでしょう。そしてタイムスリップすることを考えると、未来からやってきた存在。そう考えると、未来のヴィッキーの娘が同じ能力を覚醒してやってきたのかな、という理解でした。自分が誰かの人生を壊してしまっていること、母は万能の神では無かったことを知っていく、それが縦に続いていっているのかな、と。

 などと書いてから、先行試写会組の感想を漁ってみたら、なるほど、ジミーとスイミングスクールの女の子どもではないかという考察が結構ございました。確かに条件には合う…納得度が高い…正解は各々の胸の中に。