抹茶飲んでからマラカス鳴らす

FC東京サポで鷹党のどうでしょう藩士による映画・アニメを中心とした感想ブログ

レミゼじゃないレミゼ「レ・ミゼラブル(2020)」感想

 

 どうも、抹茶マラカス (@tea_rwB)です。

 今回は、カンヌで評価され、パラサイトさえなければ、アカデミー賞もカンヌも取ったと言われる作品。ヴィクトル・ユーゴーの名作『レ・ミゼラブル』の題材になった街が舞台のフランス映画です。

 ここんとこの繰り返しで悪いですが、告知はすればするほど良いと聞いているので今回も!3/7(土)19:00~物語るカメさんのTwitterアカウント等にて、アニメを語る会、通称#アニなら を配信します。是非是非ご覧ください。

 なんか実写映画の記事で告知するのは間違っている気がしないでもないが、行ってみよー!

WATCHA4.0点

Filmarks4.0点

(以下ネタバレあり)

 1. 差別とは恐れであり支配である

 まあわっかりやすく差別をテーマにしている本作。

 冒頭は、キリアン・エムバッペとウスマン・デンベレのどっちにゴールを賭けるかの会話がされ、肌の色関係なく2018W杯の優勝を祝う人々の様子が。1カット、アルジェリアの国旗の方がセンターにいましたけど、例えばジネディーヌ・ジダンアルジェリア系移民の血筋だったはず。フランスサッカーにおいては、アフリカ系の話は切っても切れない関係です。サッカーなら一つになれても、日常だとそうはいかないんですね、な幕開けではありますが、RBライプツィヒの試合では日本人が退場させられ、バイエルンサポは差別的な弾幕を出す。悲しいですね…。っていうか、オリヴィエ・ジルーはフランス国民からも点取ると思われてないのか、これが1番悲しい気がする。ジルー、良い選手だよ。

 閑話休題。本作において非常に特徴的に感じたのが名前。登場する人物たちは、その多くが本名ではなく通称で語られます。主人公ルイスはBACの同僚ルイスたちからポマードと呼ばれ、団地の主は市長と呼ばれ、なんだか悪そうなやつがハイエナと呼称。警官は子どもたちをガキ呼びし、イサカはイッサと呼ばれる。

 何度も語られている事であり、本ブログでも最近どっかで言った気がしますが、ラベリングして本当の名前を言わないことは、名を支配し、優越的に立とうという感情の現れです。そして、そういった行為は時に恐怖によって行われます。名前を言ってはいけないあの人なのです。こうした恐怖こそが差別の原因の一つであり、今回の警官のようにムカついて仕方のない権力行使の仕方に繋がるのですね。

 ちなみに、ドローンを飛ばしていた少年が頼った結果的にかなりまともな部類の大人の名前はサラーと言いました。W杯が題材にされ、子どもたちがサッカーをしている映画なんだから、エジプト代表の我がリヴァプール所属FWモハメド・サラーのことを思い浮かべるのは不思議ではないでしょう。彼はエジプトではファラオと呼ばれ、ある種のエジプトの、そしてイスラム圏の象徴に近い存在にサッカー界ではなりつつあります。関係ないか。

 差別の文脈でいえば、サーカス団の「俺が何か盗んだか?」や「俺が法律」、そしてバザーでの店面積が一定の範囲を超えている、という指摘。この辺は差別と繋がっている感じがします。

  トム・フーパー監督のレミゼの方のレミゼの感想は以下に。

tea-rwb.hatenablog.com

 2.子育て環境論

 これは私の持論ですが、血液型占いとかは基本的に嘘八百であり、B型っぽいとかいう奴は殲滅します。単純に血液型が近い親の元で育てられたから慣習が環境的に遺伝したに過ぎないはずです。門前の小僧習わぬ経を読む、なんて言います。子どもは環境がすべてでは。

 この映画のラスト、親がろくでもないと子はどうなるか、わかるな?みたいな(忘れちゃった)ユーゴーレミゼの文章で締めくくられます。

 あれだけ暴力的だった警官たちにも子どもがいる。じゃあその息子はどう育つか?というだけでなく、鶏を盗みルイスたちの被害者となったイッサも親に警察署で怒られていたし、ドローン少年も雑に父たちに信仰を説かれていました。自由や権利の概念なんてそこには微塵も感じません。

 そんなものは、この状況下では意味のない絵空事だ。そういうんであれば、ラスト、子どもたちによる反撃、まさにレミゼ的状況にも文句はないですね?と問わざるを得ません。革命とか、そういう段階に現状があると追認できない限りは、理想と青いことを言い続けるべきだと、私は思います。

 そう考えると、ちゃんとイッサを本名で呼ぶように指摘した母親、そして怒りこそすれ、直接打撃を加える描写の無かったジョニーの親のライオン。このあたりを見習いたいものです。