抹茶飲んでからマラカス鳴らす

FC東京サポで鷹党のどうでしょう藩士による映画・アニメを中心とした感想ブログ

拝啓、この手紙読んでいるアメリカ、何処で何をしてるだろう「ブルー・バイユー」感想

 どうも、抹茶マラカス(@tea_rwB)です。

 今回は試写会に田村亮さんが登壇した作品。こういうの、上映前じゃなくて後だと凄くうれしいな…。

 なお、本作でアリシア・ヴィキャンデルライスペーパーの生春巻きを食っています。『アースクエイクバード』では見事な箸使いで蕎麦を食ってましたが、映画でアジア飯をこれだけ平らげる俳優さん、他に知らないです。

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WATCHA3.5点

Filmarks3.3点

(以下ネタバレ有)

1.引き裂かるる親子愛

 本作は、徹底した親子愛の物語。

 取り敢えず、監督・脚本・主演を務めるジャスティン・チョンがアントニオ・ルブランという、まあ正直言ってしまえば顔とは一致しているとは思えない名前を述べている。ルブランって言われたら、アルセーヌ・ルパンの生みの親モーリス・ルブランを思い出して、アメリカどころかフランス!?みたいになるし。余談だが、名探偵コナンの毛利蘭はモーリス・ルブランから来ている。で、その妻キャシーをアリシア・ヴィキャンデルが演じ、キャシーの前夫で警察官、その2人の間の子どもですっかりアントニオに懐いている義娘のジェシーっていう感じ。まずここで、ある程度人種的なメッセ―ジが出てくる訳ですね。アジア系の顔立ちの男性と白人女性のカップルに白人同士のカップルの子どもが見事に仲良く暮らしている。ジェシーは、タトゥーショップで働いているお父さんの職場に出入りしては柄悪い言葉覚えてたり、キャシーがアントニオとの間の子どもを妊娠している手前、今度は私が放っておかれるわ、みたいなこと言ったり。髪染めるシーンなんかも含めて、まずもうここの親子愛が素晴らしい。これが伝わっているから、ラストのジェシーの「パパ行かないで!」に分かっていても涙がちょちょぎれるんですよ。ジェシーは、パパを選んだ、っていう主体性をしっかり与えられていて、そこも好印象だし、っていうか演じたシドニー・コワルスケさんは本年もベスト子役ノミネートです。素晴らしい。妹が生まれてからの拗ねっぷりもお見事。

 で、そういう義理の娘と父との話、っていうのがアントニオ自身が母親に沈められかけたという唯一の本国での記憶とか、アメリカに養子に出されてからの虐待とかが絡んできて、自分が子としての不幸を浴びてしまったけど、自分は親として違う選択が出来るのか、っていう家族愛の普遍的な物語としてしっかり機能している。そこはシンプルに感動ポイント。家族愛、っていう形で言えば、効果的だったかイマイチわからんベトナム一家の方も、家族愛はしっかり描けていました。それがアジア的なのかもしれない。

2.『ミナリ』とはまた違うアメリカへのお手紙

 さて、前述した家族愛のテーマは作品をエンタメとして成立させるためのものだとして、まあ本作が大きく提起しているのは、間違いなく制度の陥穽に落ちてしまった、かつての養子縁組をされた方々のことへの問題。作中でも説明され、エンドロールでは実際の方々も出てきましたが、2000年代の養子縁組法成立以前の国境を越えた養子縁組でアメリカにやってきた子どもたち(その多くは1980年代って感じに聞こえたが)が市民権やアメリカ国籍、永住権を取得できていないよ、って話ですね。

 シンプルにこの問題っていうのは、アメリカが本気で取り組めばどうにでも出来る話だと思うのですよ、本当は。不法移民だ!なんて叫ぶ差別意識丸出しのクソ警官が出てきましたが、まああれが露骨なトランプ批判。だが、思い出せば、冒頭の面接で3歳から住んでいるアメリカの出身地を話しても、生まれの国を問い直され、愛する妻の母からは完全に拒絶されていた。義母とアントニオの会話って、1回も無かったような。アントニオは自身が主張していたように、30年以上にアメリカに住んで、なんなら多分韓国語も分からない、韓国に家と呼ぶものは何もない、アメリカ人と結婚までしている。でも「不法移民」と呼ばれちゃう。

 で、まあこれをアメリカ生まれとはいえ韓国系であるジャスティン・チョンが作ったよ、っていうことで、アジアに対する目線への抗議っていう文脈の映画としても語れる。ブラックライブズ・マターが盛り上がり、黒人差別への抵抗はなされていた中で、アメリカで新型コロナウイルスをきっかけに起こってしまったアジア人差別は、ある意味で黒人差別問題よりも問題意識がアメリカ国内でも低い問題でもあると思います(そして多分日本でも黒人差別の方が問題意識が高い印象もある)。アカデミー賞ポン・ジュノ監督が韓国映画ズバリを撮って評価されましたが、それよりも昨年『ミナリ』でユン・ヨジョンさんが助演女優賞を獲得されてからの本作、という流れが非常にいい意義があるように感じます。

 ただ、『ミナリ』と比較するとちょっと弱いな、って思う部分があるというか、アプローチが違うと思うんですよね。『ミナリ』は、韓国から移住してきた一家がアメリカでの新生活に苦労している様子が描かれ、ある意味でアメリカから遠い存在のはずなのに、最もアメリカの精神を体現しているじゃあ、ありませんか!アメリカっていうものの存在は、人種とか、言語じゃなくて、こういう精神だったでしょ!っていうアメリカへの希望を記したものだったと思うんです。

 一方、本作はどっちかって言うと、生まれが違うだけで、あんなことや、こんなことまでしている、まるでアメリカ人と同じなのに、それでもアメリカはこういう人たちを排斥するんですか!?っていうアメリカへの絶望の方が強い印象。無論、議論を提起する最初の作品の方がそういうテイストが強くなるのは仕方ないんですが、ちょっとメッセージとしては後退しているような印象を受けるというか。まあ、つまり『ミナリ』の評価が上がった、ってことです笑。