抹茶飲んでからマラカス鳴らす

FC東京サポで鷹党のどうでしょう藩士による映画・アニメを中心とした感想ブログ

アダム・ドライバーの夫婦仲「フェラーリ」感想

 どうも、抹茶マラカス(@tea_rwB)です。

 アダム・ドライバーはグッチの次はフェラーリ!イタリア人実業家になってセックスするのが通例になってきたな。

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WATCHA3.0点

Filmarks3.1点

(以下ネタバレ有)

 

 

1.モータースポーツビギナーの驚き

 何より昨年ぐらいからF1を見始めた人間として臨む本作。『フォードvsフェラーリ』公開時とは知識が違うのだよ。よく考えたら、フォードフェラーリはこの映画の後の話、しかも結局フォードではなくフィアットに売るんですよね。しっかしF1で興味持ってるのにフォードフェラーリグランツーリスモル・マン耐久だし、今回もF1はセリフの端にモナコGPの話が出たぐらい。おそらくはアメリカでF1人気が高まりに高まっていることが製作のGoサインの背景だろうに。ついでに言えば、サッカーもメジャーリーグサッカーの隆盛にメッシの加入で盛り上がりまくっているのでハリウッド製のサッカー映画もそのうち出来ると踏んでます。

 さてさて、それで今回の映画、いやーびっくり。絶対人死ぬだろ!としか言いようのないレベルのマシンにしか見えない。そもそも当然ではあるがマニュアルで運転しててハイスピードだと危なそうだし、ドライバーを守れそうな機構が何一つついてない。軽く接触しただけで大クラッシュしそう。現在のF1でたまに揶揄されるフェラーリの戦略部門とかのことを考えるとドライバーが…と思っていたら早速死ぬし、終盤も死ぬ。ミッレミリアとかこんなん人死ぬに決まってるとしか思えない。グランツーリスモのあれは分かる。今回のはマジでどういう計算!?いやどういうレース!?ってなる。箱根駅伝ぐらいの感覚で高速カーレースを沿道で見てたよ。街中でも藁おいただけで何のクッションも無くて見てるし。この映画の事故によってミッレミリアは終焉したとのことではあるが、そんなもん遅かれ早かれ誰か死んで終わるわな、という感覚でしかない。

2.スポーツ映画をはなれて

 じゃあ伝記映画として考えていきましょう。全体として何の話がしたいのかよく分かんない。というか、未だに伝記映画に関してはどういう見方をすればいいのか分からない。ドキュメンタリーでいいとさえ思ってしまう。『オッペンハイマー』みたいな話に『オッペンハイマー』みたいな感想で悪いが。

 レーシングチームフェラーリとしてのレースを頑張り、ミレッミリアで勝つ=会社としての存続という軸と妻ラウラに愛人リナ・ラルディ及び息子ピエロの関係がバレて夫婦兼パートナーなのにまずいよ!の話があまり有機的に絡んでいるようには思えなかった。一応、破産するしないが夫婦関係と金銭的な問題で繋がりはするんだけどでもそれ別の話ですよねって感じ。フェラーリ自身においても、ミッレミリアには落ち度がなく、むしろ事故ったデ・ポルターゴがボローニャでのタイヤの交換を嫌がったことが描かれたりなのでもう不可避。っていうか前述のようにそもそもレース主催者側が悪いようにしか見えない。私生活は逆に落ち度しかないので知るかバカ、でしかない。認知する条件で産ませておいて、結果30歳超えるまで認知されないピエロさんは可哀想すぎる。一応史実として本人が成功したからいいものの、なんちゅうかラウラがキレるのも当たり前だし、ディーノの墓に毎日参ろうがプラマイゼロに持ってけてはしてもフェラーリがキレ返すのはマイナです。

 ということでいわゆるレース映画に求める感じは全くない。フォードvsフェラーリグランツーリスモとは全く異なる。マイケル・マンはレース結果とか全然興味ないし、途中で整理する気もなさそう。っていうか、現代のスポーツ中継におけるテクノロジーでの分析と情報表示に慣れている人間がかつてのイタリアでのレースの映画にそれを求めてはならんのだな、と。

 フェラーリが崩壊する年を描いているのにその張り詰め方もしていない。母親が口を出してくるとレースで死ぬ、という文句に事故後の母親へのシャットアウトっぷりといい、イタリアってなぁと思ってしまう。でもそういう冷血漢っぽさはアダムドライバーで当たりか。そういや今回もお前夫婦関係上手くいってないな!