抹茶飲んでからマラカス鳴らす

FC東京サポで鷹党のどうでしょう藩士による映画・アニメを中心とした感想ブログ

協奏「映画ドラえもん のび太の地球交響楽」感想

 どうも、抹茶マラカス(@tea_rwB)です。

 今年もドラえもんの時期がやって参りました。今年は川村元気が離れております。さてどうなる。

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WATCHA4.0点

Filmarks4.2点

(以下ネタバレ有)

1.音が楽しいから音楽だ!

 今年のドラえもんは音楽映画。音楽映画、最近はTARやマエストロ、セッションなんかがどうしても印象に残っている訳で、こうした作品群は音楽を極めに行く人たちの話だったから音楽映画でありながら、シリアスで、ダークで、演奏シーンに感じたのは凄さであり、恐怖だった。

 だが本作は違う。何もできないのび太という存在のおかげで、リコーダーを通して音楽の根源的な楽しさを知る、もうちょっと上手くなりたいかなって練習できる、というハッピーな音楽に溢れている。日本のアニメーション、そしてその中でも定点観測的に子どもたちが見ていくだろうと考えられるドラえもん映画というフィールドにおいてそこを描こうという指針はそれだけでいいぞ、やったれというものである。

 そしてその極致であるのが、この映画における「あらかじめ日記」。本作において非常に重要なアイテムだが、のび太は常に「たのしかった」を文末に書いている。日記を書く上での感想としては稚拙極まりないのだが、それによってのび太の行動は必ずハッピーエンドであり、楽しいことがメタ的には確定している(本人はただの日記だと思ってるから)。音楽って楽しいんだ、それが1番伝えたいものであり、演奏中も笑顔が見えて、それだよそれ!となった。無論、ここにおいて決定論的なたのしかった帰結というのは、物語の未来を信じていないのではないか、という批判は生まれうると思う。だが、ことドラえもんというフィールドにおいてはそもそも決定論的な要請から出現したロボットであり、それを否定していいのか、という問いから考えていく必要があるように思える。ジャイ子と結婚した未来が決まっているからドラえもんが存在する、よって決定論は一定の有効性を持つ作品だ、という議論とジャイ子と結婚した未来を否定しなくてはいけないので決定論的なものは否定されるべきである、という議論、そしてジャイ子と結婚した未来を否定するための作品だが、そもそも今日的にその否定は達成されていいのか、という議論が多層のレイヤーで重なっているという認識だ。うーん、難しい。ただ、個人的には今回は決定論的な「たのしかった」がとても良かったように思えた。

 うん、我ながら前置きというか面倒なことを長々と書いた自覚がある。その上で、改めて述べれば、単に音楽がこの世界において重要であり、そしてそれは楽しむことから始まっていく、という根幹のところが気に入っている。勿論、最終的にはある程度の進歩的な達成が求められるのでのび太でさえリコーダーが上手くなることが求められてしまう。ただ、そこに「新恐竜」のような地獄のような特訓は無く、楽器との絆や僕だってうまくなりたいという欲求とドラえもんを助ける為に頑張るという算段もある程度の納得感がある。そしてそこにタイトル回収となる地球交響楽、ということでたった一人での独演とはまた違う協奏が音楽である、という点も織り込んでみせた。全体として行動自体は直線的で新しいダンジョンを探索して新しい要素を獲得しながら音楽を上達していく訳で、今何をしたいのか、は直感的に分かるようになっている。まあスネオとジャイアンが対立しだすのはちょっと唐突な感じはしたが仕方ない。

 スネオとジャイアンの対立もそうだが、全体的に話を優先しているような気は否めないのは事実だ。流石に芳根京子のゲストキャラの登場と彼女があまりにも大事なものを貸してくれる展開は苦渋の選択だった。そして何より、あまりにも導入に時間がかかっているというか、今回のメインゲストキャラクターとなるミッカの登場までも非常に時間がかかっている。ゆっくり仕込んでいて、どんどん加速していくという点は理想的ではあるが、しかしそれにしても時間がかかった。なんとかあと10分前半を切ってほしい気はする。

 だが、その前半にも見るべきものがあったとも思う。ドラえもんのび太両者に言えることだが基本コイツらはやっぱり愚かなんですよね。普通、ストーリーを進めるにあたって愚か者が愚かな行動をすることによって阻害されたり、強引に進展していくことはストレスになってしまうのだが、ドラえもんがどら焼きに目が眩んで失敗したり、のび太が愚かさのあまりこの世から音楽そのものを消し去ってしまったり、そんなことが起きても全然構わないどころか、うんうん、のび太はそうだよね、と思える。中途半端に良き人物化されてしまっているような作品もある中で、ここで今回の製作陣は信頼できるぞ、と掴まされたのは事実だ(無論、私のドラえもん理解がある程度浅いことは一定の事実である)。

 音楽映画をドラえもんでやるなら出てきてほしいな、と思ったムード盛り上げ楽団も思った以上の登場だし、もう一つ連想していたコエカタマリンも使っていた。ノイズにはファーレが効くのだからコエを具現化してぶつけても意味がないような気はするが、ドラえもんはバグってたばかりだし、そもそもポンコツなのでそれでいいかな、とも思える。あの良く分かんない時空転送装置は取り寄せバッグでいいじゃん、と思ったけど展開に寄与した。そして一節とはいえ夢をかなえてドラえもん登戸駅!ファンにも手厚い!

 とまあひとしきりいい感想を持ってエンディングでVaundyがかかったら音楽楽しい、がしっかりしているし良いね!なんて思っていたら、脚本協力:佐藤大のクレジットで困ってしまった。リスナーズとか、面白くなかったなぁと思っていたけども、ここで挽回してきた。