抹茶飲んでからマラカス鳴らす

FC東京サポで鷹党のどうでしょう藩士による映画・アニメを中心とした感想ブログ

ドラえもんのこの先はドドドドドドドドドドうしますか「映画ドラえもん のび太と空の理想郷」感想

 どうも、抹茶マラカス(@tea_rwB)です。

 小清水亜美か?石川由依か?いや、井上麻里奈だー!!!とか映画見ながら考えている私は良くない子。だって山里さんも永瀬廉も分かりやすいし、水瀬いのりもすぐ分かっ…え、藤本美貴!?

映画ドラえもん のび太と空の理想郷 (てんとう虫コミックス)

WATCHA3.5点

Filmarks3.4点

(以下ネタバレ有)

 

1.結構高度なSFするやん

 さて、脚本古沢良太です。何もしてこない訳がありません。ましてや振りかぶって「理想郷」ですよ。出木杉君がしっかりトマス・モアを読んでいるのは驚きましたが、そんな出木杉君はすっかり放っておいて時間も場所もどんどん違う場所に移動する前半。理想郷という子どもには少しわかりづらい話をかみ砕くのに30分使い、その後の理想郷パートに30分使って、ようやくハリボテだろ、と思っていたパラダピアの悪を暴くスペクタクルが残り。この展開のため、どうしても前半が重いなぁ、とは思っていたものの、流石古沢脚本。理想郷は実はワルだったのだ!三賢人なんて存在せず、裏で博士が操っていたのだ!!都市自体が動くのだ!!という一大スペクタクル、大どんでん返しを見せるのだ!!!!!!

 いやー無理っすね、流石にそれでは。アントマン&ワスプ:クアントマニア及びロキシーズン1とあんまりにも同じすぎるのでこれで引っかかれ、というのは無理だよ。どう考えてもパラダピアが新興宗教のコミューンみたいな感じだし、三賢人出た瞬間にこいつら偽物だなって分かったし。と思っていたら、ドラえもんが青い虫になって落っこちていった。ここでちょっと関心致しました。なるほど、物語的などんでん返しだけじゃなくて、時間的なことも取り入れてきたか!と。不自然に青い虫がいた時だけ見えた理想郷、天気雨と出発前にフッておいた部分なので決して難解ではないものの、実はSF素養としてはそこそこ厄介なことをさらっとやって見せて、これはなかなかどうしていいじゃないか!っていう感じ。見直したぞ、古沢良太。なお、このあとこの街が、この世界が好きになった気がするだの、パーフェクトじゃなくてもいいんだ!だの散々感じ取れたメッセージを全部のび太がしゃべりだしたことで、パラダピアが崩れ始めた!みたいな実況を始めたドラえもんを思い出して減点です。説明しすぎでは。

 脚本の古沢さんに言うならもう一点。機械に心はあるんだ、という非常にややこしい問題を表面をなぞりもせず、ドラえもんとソーニャの友情演出のためだけに使っておいてソーニャ自己犠牲からのメモリーは無事で復活しました、はちょっとどうかと思う。ソーニャの本体がメモリーっていう話でいいのか。っていうか、前回の宇宙小戦争でもそうだったけど、銃を向けて壊すのは機械だからオッケー的なあっさい言い訳みたいな敵描写してるのに機械に心はあるんだ、は大変まずないでしょうか。この作中で一体何体の機械が虫に変えられてしまっただろう。

2.ドラえもんにありのままは許されるのか

 まあ序盤もマーベルで最近見たわ!っていうツッコミをしましたが、いやでも良く考えたらそれ自体は全然いいんですよ。アメリカでマーベルが担っている基礎教養的なSFを日本ではドラえもんが担っているのは事実ですし。ただね、こう他にもそういうのがちらほら見えてしまうと、突然にこの作品自体がつぎはぎに見えてしまうのも事実。まあまず悪役の世界全体を洗脳して平和にするんだ、という発想は例えばNARUTOの無限月読みたいなだなーとか、じゃあ世界もろともってあたりまで範疇に入れると人類補完計画くさい。

 そして、ドラえもんとありのーままのーの食い合わせの悪さだ。ここで間違いなく引き合いに出されるべきは、近年の大ケッ作『クレヨンしんちゃん 謎メキ!花の天カス学園』だ。格差問題とエリートポイント教育というものをクレしんに持ち込み、学園生活を描いた天カスは、決して成長しえないサザエさん時空的な世界だからこその意味を持ち、押し付けでない多様性の尊重、個性を生かした教育が必要であることを示したと思う。一方で、本作で描かれた学園生活は(ただ周りが優しいだけで、決して能力は向上していない、教育的に破綻していることも言っておきたくなるが)パーフェクトを目指すものであり、実はその方向性っていうのはドラえもんの原点とマッチしている。思い出して欲しい、そもそもこの作品はダメなのび太をしずかちゃんと結婚させるために矯正させようとドラえもんが送りこまれる話なのだ。だから、本作ではパーフェクトを目指すことはのび太の現実逃避としての意味だけで求められるが、そもそもその方向性は間違っておらず、手段が誤っていた、とする方が適切。だがそこにありのままの精神を植え付けて、今のジャイアン、今のスネ夫、今のしずか、今のドラえもんでいいんだという肯定のメッセージを与えようとすることで、のび太の未来は作品世界的にはバッドエンドまっしぐらなのだ。言いたいことは現代においては、決して誤りだとは思わない。だが、その誤りを指摘するには映画ドラえもん一作では不可能に近い。この作品のゴールが根本的に「間違えている」のだから。そこに向き合わずに安易のこのテーマを持ちだしてしまったことが、機械に心がある!とか簡単に言っちゃう性根と繋がっているのだろう。

 あとリサイクルって誤用ではなかろうか??ごみを捨てるだけではダメだし、修理して使うならリユースとかリペアだし、一回砕いてちゃんと金属から加工するとかそういう話なの?(これを確認しようとググったらドラえもんの道具に4次元くずかごがあることを見つけました。)

 来年は…楽団?ファンタジアオマージュは入るかな…