抹茶飲んでからマラカス鳴らす

FC東京サポで鷹党のどうでしょう藩士による映画・アニメを中心とした感想ブログ

美しさは食から 美食「ポトフ 美食家と料理人」感想

 どうも、抹茶マラカス(@tea_rwB)です。

 寒い冬です。ポトフでもいかがでしょう。まあ私はポトフの材料があったら全部煮込んで豚汁みたいにしてしまう程度の料理スキルしか持ち合わせていません。私の料理の手腕でモヤっとボールを投げないようにお願いします。この作品見ればスッキリしますから。

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WATCHA4.5点

FIlmarks4.7点

(以下ネタバレ有)

 

1.美食とは

 いやー実に美味しそうな映画でした。やはりまず着目したくなるのは始め30分をぶっ通す食事会。ブノワ・マジメル演じるドダンが起きてくるころには、ジュリエット・ビノシュ演じるウージェニーは所狭しと料理を作る手を休めないで準備をしている。これがもう一体何時間続いているのかわからないほど多くの料理を作り、そして別室で男ばかり5人がすんごい能書きを垂れながらワインが美味い、ワインが美味いと食っている。『美味しんぼ』を履修していない私にとっては、「こ、これが美食!これが海原雄山…!」(多分違う)という感覚で結構正面から描かれた美食に引いている感じ。印象的だったのは、パンの中にシチューを入れるチキンポットパイbyケンタッキーフライドチキン的なやーつ。せっかく調理場で最後にパンの蓋を載せたのに、食事場に運んだらすぐそれをどかして切っている。このSGDsが叫ばれる時代になんという無駄なひと手間。いやまあ食ってると思うんでまだマシですけど、本当に見た目だけのためのパンの蓋!っていう。料理は見た目や盛り付けも含む、だったりそもそも一つのアートとしての料理っていう側面から捉えることは出来るんだと思いますが、その回路が自分にはない。

 そしてそこと対照的にすら見える調理場の風景。延々と男5人の美食家たちの食卓にウージェニーと使用人ヴィオレットが作り続ける違和感、そこで食べているポーリーヌの食事の感想の方が美食家たちの垂れる意味不明な食事の感想より圧倒的に飯がうまそうに思える。

 だが!だがである。そんなことは監督も100も承知で、単に美食家です話をする気は別にないわけです。カンヌの監督賞を舐めたらアカン。当たり前。それが第2幕。

 美食家を支えるウージェニーの繊細にして完璧な調理を際立たせておいて、彼女が倒れてドダンが調理場に立った途端、料理は美食からかけ離れた豪放磊落な印象すら覚えるものへと変化する。ブノワ・マジメルの息遣いは繊細というよりもやはり力が入りまくってる時の息の出方だ。やるべきことがわかっていることと、実際にやることはやはり異なるのだ。精一杯息を出しながら、しかしドダンはしっかり料理を作っていく。

 ここにおいて、美食とか糞食らえだな、と文字面だけ見たら料理映画に全く相応しくない感想を持っていなものが入れ替わる。いわゆる市井の美食はクソかもしれないが、この2人にとっては美食とは誠心誠意のコミュニケーションなのだ。病に倒れたウージェニーに必要なのは栄養補給としての食事だが、ドダンは決して食事を提供しない。彼が提供したのはあくまで料理だ。それなら、それならば。美食家の男たちへと届けていた、ともすれば非常に唾棄すべきものかと思った美食の数々もまた、ウージェニーからドダンへのラブレターだったんだ、というようにわかる。調理場と食卓、離れていないと出来ない対話を繰り返していたんだ、と。そのへん、私の好きな『バベットの晩餐会』みがある。

 とここまで来て、美食という行為そのものに対しても自分を顧みる。

 よく考えれば誰もが文脈や背景をもって食事にあたり、誰もが美食家でもある。一体私は普段TBSラジオ『東京ポッド許可局』でマキタスポーツ氏の食スケベの話をどれだけ聞いたんだ、なぜそこに思い至らないんだ。A5ランクの和牛がどうだ、世界で人気の料理がこれだ、モンドセレクションがアレして、あの芸能人が食べてバズった店がここだのなんだの。めっちゃ文脈や背景を食っているではないか。うーん、私もいけ好かない美食家だったのだ。

 それにしても美食家っていうのは、食いしん坊ですな…と思ったら流石に3部構成のポーランド皇太子の食事は胃がむかついたとか言ってた。そりゃそうだよね、あのメニュー読み上げ時間が無限に続くかと思えたもの…とと思ったら、ドダンは帰宅後に夜食めちゃんこ食べてた。シンの美食家は鋼鉄の胃袋だな(それだけウージェニーの料理が好きなんだろう)

 とまあ、ここまでウージェニーとドダンの関係を仕込まれてしまったものだから、ウージェニーの死はこちら側にもダメージがデカい。シンプルに料理を作れなくなるだけかと思いきや、彼女との調理と食事というラリーすら叶わぬ夢になってしまったことはとってもつらく、ドダンが食事自体を拒んでしまうようになるのも分かってしまう。コミュニケーションは断絶されたのだ。

 そこから彼を掬い上げるのは、やはりウージェニーのスープであり、それを冒涜されないためウージェニーの選んだ「未来」ポーリーヌ。ポーリーヌとポトフを作って今度は彼女とコミュニケーションを取っていく。勿論料理で。そのまま終わってしまえば、料理を媒介にして対話できる相手ならだれでもよさそうに見えてしまうが、最後に二人の在りし日の会話がぐるっとカメラが回った後にされることで、ウージェニーはドダンの中で永遠に生き続けるし、彼女とのコミュニケーションはまだまだ続くのだな、と嬉しくなる。駒田蒸留所と実は結構似ている話なのに手触りがここまで変わるのか、という驚きも感じた。前半30分、あれが、駒田の末尾に記した「寝かせる」だ。

 何はともあれ、メシがとってもおいしそう、というだけで文句が無いのに中身も良いと来たので素晴らしい映画でした。