抹茶飲んでからマラカス鳴らす

FC東京サポで鷹党のどうでしょう藩士による映画・アニメを中心とした感想ブログ

シュレディンガーの豚を追って「PIG/ピッグ」感想

 どうも。抹茶マラカス(@tea_rwB)です。

 今回はカリコレにて限定公開と思われていたが通常ロードショーにしてくれてホッとしている作品。あんまりジョン・ウィックだと思うなよ。

Pig [Blu-ray]

WATCHA4.0点

FIlmarks4.2点

(以下ネタバレ有)

 

1.ジョン・ウィックと思うなかれ

 本作はトリュフ採集に使うブタをニコラス・ケイジが盗まれ、それを取り返しにいく、それだけ物語。あまりに静寂が支配する森を、本当に突然襲撃者たちはやってきては、豚だけを盗んでいく。

 卸しの業者アミール(演じるのはアレックス・ウルフ)を頼りに、盗んだ男たちの手がかりを探すんだが、森に10年引っ込んだトリュフ採集家のホームレスなのに、何故か町の重鎮たちが彼を知っている。舞台がかつてのホテルだった地下2階闘技場に至って我々は確信する。ニコラスケイジがここから逆襲するんだ。ジョン・ウィックが犬の怨みだったように、この作品は豚の怨みを晴らすんだ。だがニコラス・ケイジ演じるロビーはここでも戦わずただやられ、その姿勢で情報を引き出す。あれ。

 情報を辿っていくと、結局のところ犯人はアミールの父。アミールと同じトリュフ卸しが仕事だが、彼はその頂点に立っている。そして彼はこう思った。息子はこの商売に向いていない。だから取引相手の豚を奪ってしまおう。たったそれだけの話。分かってみればなんてことない真実。この男ロビーと面会し、このトリュフ業界のすべてが自分の手の中にあるかのように語り、父子の関係の面でも緊張が走る。

 家を出たロビー。駆け寄り謝るアミールにリストを渡してこれを全部持ってこい、と。いったいどんな血みどろの復讐道具を集めるのかと思いきや、良いワイン、鶏肉、そして昔と同じ焼き方のバケット。彼らは邸宅に忍び込んで、ラスボスの夕食を作って振る舞う。決して我々の望んだ血みどろの復讐劇になんて向かわない。そう、これはジャンル映画でもアクション映画でもなく、喪失とニコラス・ケイジ自体に向けた作品なのだ。かつてニコラス・ケイジがシェフをしていたレストランで食べた食事を通して自殺を図った妻、上手くいかない息子との関係の回復のセラピー、そして自身もシェフを止めることになったローリーの死からの回復を豚の死をもってやっと完遂できる。その目的の為に、これまでの彼の人生が布石となって街のみんなが協力してくれる。じゃあどうして豚を救うんだ?「I love」愛ですよ、愛。別に豚がいなくても気が教えてくれるから、いなくてもトリュフは採れる。でも、探す。愛の喪失と乗り越えなんですよこの映画は。だから最後にようやく顔の血を洗い流すんです。

2.ニコラス・ケイジのために

 この作品は、ニコラス・ケイジのための作品だと言っていい。劇中、明らかにホームレスと思われる格好で森の奥で暮らすニコラス・ケイジ。電話を借りれば、その店員は10年前に死んだ、何かこの業界に詳しいやつには「終わったやつ」「今は存在しないのと同じ」という言葉が投げられ、手掛かりを得に行ったレストランでは、「君が勝負をしていないから」「周りを気にするな、客もみんな料理に関心なんてない」「本気になことはそうない」すべてニコラス・ケイジの口から飛び出た言葉だが、なんだがUターンして帰ってきそうな言葉たち。あと、昔住んでた家で知らん子に「柿の木はどこだ?」と聞いたら「無いよ。死んじゃった?」に対する返答がないのも意識的に感じましたなぁ。

 勿論、賢明な映画ファン諸君であれば、ニコラス・ケイジが借金返済の為に出たくもない映画に出続けていたことはご存じだろう。そういった中で、10年前まで一流コックで姿を突然消した、という境遇は彼のことを示唆している、というのは考えすぎではあるまい。そんな状況で復活の一手として選んだこの作品、相手のアレックス・ウルフと自然とニコラス・ケイジの顔を捉え続けた撮影監督を激賞するのは大前提で、彼の人生をそのまま映画用に翻案したような、まだまだやれるぜ、という気概と気負いを感じる作品となりました。なんだろう、ニコラス・ケイジ自体の『素晴らしき哉、我が人生』というか。映画自体が『素晴らしき哉、我が人生』の終盤から始まっていく感じだし。ずっとハリウッドのど真ん中にいなくても、俺は客を泣かせることは出来るんだぜ、みたいな。