抹茶飲んでからマラカス鳴らす

FC東京サポで鷹党のどうでしょう藩士による映画・アニメを中心とした感想ブログ

名著をこの機に「窓ぎわのトットちゃん」感想

 どうも、抹茶マラカス(@tea_rwB)です。

 今回は黒柳徹子氏の名著にして、自叙伝のアニメ映画化。毎年夏とかの文庫フェアの名作100選とかに入っていた記憶はあれど結局読んでなかった作品。そういうのをアニメにしてくれたことで中身を知れる私みたいな人がいる訳で、作品化の価値を感じます。

 それにしても日曜日に見たのに感想が遅れに遅れました。恐るべき忘年会シーズン。その日曜日にメモ帳に残しておいたものの転記です。その作業すらできなかったんですよ!恐るべき忘年会シーズン。ここの文章を書いている時もアルコール入ってんかんな!

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WATCHA4.5点

Filmarks4.3点

(以下ネタバレ有)

 基本的に素晴らしいの一言。アニメーションとしては細かな挙動もしっかりしていれば、窓越しの児童たちの遊びなんかでも手を抜いておらず、日常動作が非常にきちんとしている。その上で、3回ほどあるイマジネーションの飛躍からのタッチの変わったアニメーション表現は圧巻であり、『屋根裏のラジャー』とはまた異なるイマジネーションの爆発のさせ方である。それでいて、アニメーションのタッチ自体が変わることはこの作品における尋常小学校を離れてトモエ学園へ転入していく個性を尊重されるトットちゃんの生き方にメッセージとしても合致していく。黒柳徹子さんが存命のうちにこれが作られ、本人のナレーションで語られたことは、日本テレビ史、日本芸能史にとってもめっちゃ大事なことなんだと思う。

 叱ることなく向き合い、見守るトモエ学園の教育がしっかり見せられてトットちゃんがトットちゃんらしく過ごせている中で、歩み寄る戦争の足音がトットちゃんらしさを日常から剥奪していく。天気予報が奪われて、ママとパパの呼び方が奪われ、男性駅員が奪われ、華美な服装として日々の暮らしも奪われていく。冒頭に戦争が終わる少し前まで明示してあるため『この世界の片隅に』式に迫り来る戦争が怖さとして効いていく。(あちらとは違い、バイオリニストで家持ちの此方は生活階級はちょっと高そうである) 

 そして最も大きな奪われた存在であるヤスアキちゃん。彼の死因も特には語られず、あくまでトットちゃんの視点で捉えている。ヤスアキにとってトットちゃんは憐れみではなく向き合ってくれる人であり、小児麻痺だろうと木に登り、お出かけをして、プールに入るように言ってくれる世界を広げてくれる人。トットちゃんにとってはまだ見えてないだけだったのかもしれない。だから見えてしまった腕相撲でトットちゃんは力を緩めてヤスアキを失望させてしまう。その代わり、ヤスアキが今度はトットちゃんの世界を変える側なのだ。天真爛漫な「噛めよ」の歌声を奪おうとされても水音で対抗する世界を作り上げ、『アンクル・トムの小屋』を通して彼女の知見も広げようとした(劇中では特に意味はないが、これが彼女の後の国際貢献につながったから描かれたエピソードなのは間違いないのでは。というか、劇中の出来事全てに大したの回答が知ってる黒柳徹子史になるのずるい)。

 こうした教育が必要とするところに行き渡ることを望みはするが、大石先生がちょっと叱られていたように(滝沢カレンの声優適正!)すごく心を砕いて少人数で対応しながらでないとおそらくは実現できない。維持のためにある程度高額にもなってしまう。国よ、ここにも手をつけてくれ。