抹茶飲んでからマラカス鳴らす

FC東京サポで鷹党のどうでしょう藩士による映画・アニメを中心とした感想ブログ

競争の狂騒「すみっコぐらし ツギハギ工場のふしぎなコ」感想

 どうも、抹茶マラカス(@tea_rwB)です。

 今回はみんな大好きすみっコぐらし。今回も平面的なキャラクターの世界なのに立体的に動いたり、奥行きを感じる画面構成はとても素晴らしいものがあるように思いました。

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WATCHA3.5点

Filmarks3.6点

(以下ネタバレ有。すみっコぐらしにネタバレとかないと思っているあなたは映画館にちゃんと行きましょう)

1.見事なジャンル横断

 最初は刑務所ムービーかと思ったんですよ。いつものすみっコたちの日常を割としっかりめに紹介するな―と思ったら、しろくまの大事なぬいぐるみのボタンを探しに森に出てからなんかおかしくなっていき。工場に入ってからは、単純労働、対価もなく朝の体操まですみっコたちがやっている。製造、検品、梱包、配送。ごっこを超えた資本主義の入り口へようこそ子どもたち。

 なんやかんやあって工場が過剰生産を始め、おもちゃが街に溢れ、クマ工場長もぬいぐるみ=作られた存在であることが判明してからはジャンルがガラッと変わって工場自体が意思を持っていることに。ニンジャバットマンのような工場による大立ち回り(ルパンのカーアクション意識してたかな、というとんかつカーアクション)の後は、工場なのにおもちゃを作れない、という存在がすみっコとしての適性を表すSDGs話に。存在価値は生まれ持ったそれとは違う、古くなっても捨てないよ。序盤の自己紹介がしっかりしているのはここに効いてくる。

 だからこそ、資本主義社会そのものである工場内描写はもう少しなんとかするというか、バランスを取らないとなぁとは思う。ノルマが、とかMVPが、とかはそもそも選ばれなかったすみっコたちをさらに追い込む所業で、実際とんかつが仕事がない、と凹んだ時の胸の苦しさは凄いものだった。順位をつけることとそれぞれを尊重することは本来は同居できる、というのが資本主義社会の現代における理想論なのだが、すみっコたちは競争社会や実存競争の結果生まれてしまった存在なので、そこにも競争させるのは明らかにただただしんどい話になってしまった。

 事態の解決として、廃工場を映画館に改装するエンドロール。そしてすみっコたちのもとを後にして、もしかしたらあなたの街に…でスクリーンが顔になる。あ、この映画館もすみっコなの?は子どもにとってはとても嬉しい仕掛けかもしれない。

 まあね、ボタンぐらいしろくまさんがあんなすばやく裁縫セット出てくるなら持ってるだろ、とか本物のペンギンさんが出ていったのを追いかけたのに数日無視からの合流即工場内別れで終わりなのはどうなのか、とは思う。っていうか本物のペンギンさんって名前も正直頂けない。緑色で自分を探していてもペンギンというキャラ名である以上は、あいつはペンギンなんだよ。あいつも本物なんだよ!!!

 あとはナレーションが1人になったことで一本調子になってるのは否めない。ただそれは今回のこと、というより以前から燻っているのはわかっていたジャニーズのタレントを子ども向け作品のナレーションとして起用していたこれまでを問うべきなんだろう。感想を見ていると、次回作になら戻ってこれるかなぁ、みたいな呑気な感想があったりして、なんというか一旦沈静化するまで黙っているムーブしてればいい、みたいな空気が日本中に蔓延していることが非常に嫌でした。井ノ原さんがいた方がいいに決まっている作品において、降板することを決めたのが彼なのか製作側なのかはわかりませんが、その決断の意味をちゃんと考えてほしい。