抹茶飲んでからマラカス鳴らす

FC東京サポで鷹党のどうでしょう藩士による映画・アニメを中心とした感想ブログ

海戦「ゴジラ-1.0」感想

 どうも、抹茶マラカス(@tea_rwB)です。

 来ちゃいました。ゴジラです。フォロワーのEDDIEさんが隔週でやっているスペースでの配信番組でゴジラ総選挙が開催されたのでゴジラ知らんわっていう人はここから入ってみるのはいかがでしょう。

 それにしても助監督に『遠いところ』の工藤監督がいるのはともかく、出演にマイケル・アリアス監督がいたのはびっくりした。米軍の声とかかしら?

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WATCHA4.0点

Filmarks3.9点

(以下ネタバレ有)

1.GODZILLA MEMORY OF MINE

 なーるほど、『シン・ゴジラ』というとんでもない傑作を前にしてどう山崎貴が手を繰り出してくるのか、と思っていましたがこう来ましたか、と。大前提として、庵野秀明からの山崎貴では決してないということ。虚淵玄によるアニゴジ劇場3部作、円城塔によるゴジラS.P〈シンギュラポイント〉、あと正直カウントしていいのか分かんないがちびゴジのショートアニメ、そしてゴジフェスの度に公開されるゴジラ怪獣プロレス路線の短編映像と、国産ゴジラだけでも結構な量のゴジラ作品が供給されており、今回にどんなゴジラが出てきたとて受け入れる度量は結構つくられてるよ、っていう。アニゴジ3部作とかゴジラが300mあった植物的な生命体でメカゴジラは都市化、キングギドラは観念的存在でしたからね。そもそもミニラとかでこっちは飼い慣らされてるのにそこを更に壊してくれてるのである程度のことは余裕で受け入れますよ。

 そして勿論、他の怪獣の出てくるみんな大好き路線はハリウッド版が作り続けてくれている。ありがたやありがたや。

 と言う訳で日本のゴジラ(流石にちびゴジはカウントしませんが)は庵野秀明がオタク要素と現代性を注入し、虚淵玄が再解釈どころではない破壊を行い、円城塔が徹底したSF視点から描き切る、という各々の視点からゴジラを捉え直す作業が繰り返されている。その点で本作を考えていけば、山崎貴及び白組が圧倒的に得意とするVFXを生かすためにも基本が海中戦闘になることは自明の理であり、最大に長所を生かす戦いを彼らはしたといえる。白組が『アルキメデスの大戦』でも見せていた戦艦と海の描写に『永遠の0』の戦闘機もぶち込んで、まあここで一種の集大成でしょう(『海賊と呼ばれた男』のことを忘れていたことを思い出したが書き足すのが面倒になったからここにいれる)。っていうかなんで並行してる仕事がアイドルマスターミリオンライブなんだよ白組。高低差!

 とまあなんだろう、前置きが随分と長くなっている気がする程度にはゴジラオタクではあるんだろう、多分。普段は漫画原作も読まずに、とか監督の過去の作品を見たことがないですが、などとへいこらしながら初心者ヅラして見てきている人間だが、ゴジラは全部の劇場作品を見ているし、まあはっきり言って大好きだ。世の歴戦の猛者たちがうじゃうじゃいるジャンルなので俺が1番詳しいんじゃ!!などと宣う気はないが、半端なものなら怒りそうだし、いや半端なものこそ愛してしまいそうな気がする。

 ではここでこの前、博多駅にいたゴジラくん(左)を。シンゴジ(右)の時も博多にいたんですけど、こうして比べてみると今回のゴジラは全体的にがっしりしていて筋肉質、腕がしっかりしてるのと海面に映える棘をしていますね。というかゴジラ公開タイミングで毎回福岡に行ってるのか、私。

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2.GODZILLA MEMORY OF WAR

 さて、いろいろあったんだからシンゴジとばっか比較すんなよ、とは言ったもののやはり比較対象としてシンゴジラを持ち出さざるをえないのは事実。圧倒的な官だったシンゴジから民に振ったゴジラ作品という結構新しいアプローチ。完全な民でゴジラに立ち向かったのって初代ジェットジャガーとかかな…?まあとはいえゴジラ対策をしていくメンバーは旧海軍主力で完全に半官半民。完全に後半の空気が見せるプロジェクトX感だってNHKで放送してれば半官半民っぽい感覚を持たせる。そう言った意味では今回のゴジラは圧倒的な公共事業(官から民が請け負う形だが、今回においては官が消滅しているだけ)であり、それはゴジラを作る山崎貴にも被ってる…のかもしれない。誰がやらなきゃ、貧乏くじを引かなきゃならないんですよ、ゴジラ映画監督という。民間漁船が万事休すと思われてから手伝いに来る激アツ(と思って作ってそう)展開は、最善を尽くしたと思う。

 浜辺美波が生きてる、山田裕貴が助けに来る、やったかはやらない、みたいなのも丁寧すぎるフリとオチ(伏線とは呼ばんだろ、あれは)と思っていれば受け入れられる。今回のゴジラは、旧日本軍の悪いところを完全に詰め込んで煮出した神木隆之介(絶対を保証できない科学を否定して確実を求める辺りもう)が最後の最後に目を覚まして戦後にようやく移行できる、PTSDとしてのゴジラであり、1番近いのは『ゴジラモスラキングギドラ大怪獣総攻撃』だろうか。まあだとしたら最後は敬礼しちゃダメだよなぁ、軍人としてではなく、民間人として頑張ったよ終わりな訳で。そこのテーマを踏襲するなら最後にゴジラ復活か?のフラグもダメよね。シンゴジオマージュなのか、ゴジラ(1954)がこれから来るよ、のリスペクトなのか知らないが、神木くんと青木崇高の戦争は終わったんだからさ。

 あとは単純に映画として3丁目の夕日的なパートが邪魔なので浜辺美波を拾ってくるだけでいいかな。子役使いが下手くそなのに使ってもしょーもないし、安藤サクラの無駄遣いもいらない。浜辺美波が生きてたことが離陸直前に分かれば同じ結末に行けそうな気はする。まあそれでも昭和ゴジラのクオリティ考えたら万々歳ですわ