抹茶飲んでからマラカス鳴らす

FC東京サポで鷹党のどうでしょう藩士による映画・アニメを中心とした感想ブログ

時間に殴られる!2分先が分かるだけで広がる無限の可能性「ドロステのはてで僕ら」感想

 どうも、抹茶マラカス(@tea_rwB)です。

 来ちゃいました、来ちゃいましたよ。2020年ベスト確定級。ポン・ジュノ監督が来てくれた試写会で見た「パラサイト」を超えることなどあるのだろうか、と思っていたら70分で超えていきました。大傑作!ヨーロッパ企画渾身の一撃!TOHOでかかってるんだから今すぐ行ってきてください。前情報入れてる場合じゃないです!f:id:tea_rwB:20200720185347j:image

WATCHA5.0点

Filmarks5.0点

(以下ネタバレ有り。前情報入れる暇があるなら映画館へ!!)

 1.2分先が見える。たったそれだけなのにこんなに面白い!!

 さて、序盤は当たり障りのない辺りから攻めていきましょう。うっかり読んでいる貴方の為に。

 話はとってもミニマム。とある雑居ビルの1Fでカフェを営む男が一人。上階の自室に戻ると、テレビの画面に映った自分が話しかけてきた。ソイツは2分後の未来から話しかけてるなどと言い出して…。そこからカフェと自宅の2台のテレビが2分の時差で繋がっていき、話を聞きつけた客たちと未来を巡るあれやこれや。2台のテレビを向かい合わせれば、ドロステ効果で2分以上先の未来が分かるのでは??としていると。そんな話。

 タイムテレビが何故繋がったのか、そんなことは説明されずにいきなり2分後の未来と繋がってしまう。そこから暫くは2Fでは未来と通話し、1Fでは過去に伝える。これをマスターだけ、常連その1と店員の3人、更に常連2人を加えた5人とそれぞれターンごとにしっかり見せてくれるので、劇中人物同様に観客にも丁寧に説明が出来る。しかも、さっき未来と繋がるテレビの中でやっていたことを2分後に実践し、テレビを見ていた時の反応が返ってくる、天丼状態になるので、厄介なタイムトラベル的な理論をさておいて肌でこの映画のルールが理解できる。親切設計な上に、ここは階段の上下動でもカメラが切り替わらずについてくるので、緊迫感とワクワク感がたまらない。

 そうして、未来が見えることが理解できた面々が考えることがまあ実にくだらない。ヒロイン・朝倉あきさんをバンドのライブに誘って成功するか、スクラッチはどこを削ればいいか、ガチャガチャで何が当たるか。話が基本的にカフェから動かない、ワンシチュエーションコメディに近いのに、無限に未来に繋がる壮大さを兼ね備えている。どうしてこんなに面白くて、ワクワクできるのか。

 しっかり原理原則の提示が済んだら、序盤に提示されていた不穏な要素やちょっと現実味の無かったところを徹底回収。これまで出てきた小道具全部を使って未来が見えるちょっとした利点を使って行われる庶民のちょっとした逆襲は爽快感があふれているのに、やっぱりどこかくすっとくる。階段を後生大事にテレビを抱えて上がっていき、仲間たちが武器を届けてくれる展開は燃えるものがある。勿論、70分尺の映画だから、電話をしている怖いおじさんや、宗教勧誘に見えるタイムパトロールだって伏線に決まっているのだが、その後のタイムテレビの構造の理解ですっかり頭の片隅に追いやられているから、純粋に楽しめるのではないだろうか。

2.疑似ワンカット。映画でしかできない凄さ。

 本作は、京都を中心とする劇団ヨーロッパ企画の初長編映画だ。だが、勿論この劇団の主宰にして、本作の脚本を務める上田誠の名前は映画ファンなら知っているハズ。森見登美彦とのタッグ「四畳半神話大系」「夜は短し歩けよ乙女」「ペンギン・ハイウェイ」でお馴染み、2020年には「前田建設ファンタジー営業部」でもヒットを飛ばしている。

 ファンタジー営業部の未見を恥じながらも、今作が凄いのは劇団なのに、映像作品でしかできない作品に仕立て上げることに大成功しているからだ。2分先の未来が見えるこの映画は、映像を見てから2分後に同じことをリアルタイムでするため、殆どがリアルタイム進行であり、しかも疑似ワンカット。しかも画面の中との整合性(これが中盤以降は未来との整合性も!)が必要になるため、恐ろしいタイムキープが必要になるはずだ。ハリウッド資本を投入した1917ならともかく、iPhoneで撮影された超低予算映画でそれをやってのける凄まじさ。エンドロールで流れるメイキングでは、ナイフについた血のようなもの、を人力でカットを割らずに付着させていく超アナログ手法で涙ぐましくなる。

 たった70分の映画に、とてつもない情熱と熱量がねじ込まれているのだ!

3.時間に殴られる。未来は自分で掴み取れ!!

 さて、ここまでセンス・オブ・ワンダーに溢れ、熱情が迸っている訳だが、それでも未来に対する考え方でまた強固な意志に感動する。

 何度も提示される、未来が見えてしまうとそれに引っ張られてしまうのではないか?という懸念。その懸念通りに事態は進行していくし、分かっている未来にむけて突き進むのは、義務感でしかない。実際、マスターは未来の自分の言う通りに朝倉あきをライブに誘って失敗したのに、過去の自分にgoサインを出している。だが、マスターが自らの意思で彼女を救い出しに行く決断をし、最終的にその日を無かったことにするのを止めて、タイムパラドックスを起こして新しい未来を手に入れる。あくまで未来は予定調和で、それに向って進むものじゃなく、自分の意思で突き進んだ先にあるのだ!

 この感じ、ドゥニ・ヴィルヌーヴの「メッセージ」と近いと個人的には感じているんですけど、どうなんでしょう?

 いずれにしても、劇中で「時間に殴られる」なんて表現が使われていますが、時間が殴ってこようとも、切り開く意志さえあれば変えられる。タイムトラベルものでは陳腐化もしれないですけど、全力でそれを体現していたと思います。