抹茶飲んでからマラカス鳴らす

FC東京サポで鷹党のどうでしょう藩士による映画・アニメを中心とした感想ブログ

動かす「アリスとテレスのまぼろし工場」感想

 どうも、抹茶マラカス(@tea_rwB)です。

 今回は岡田麿里監督最新作。というか監督としては2作目ですね。

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WATCHA4.0点

Filmarks4.0点

(以下ネタバレ有)

1.プレイバック岡田麿里

 もうね、はっきり言ってしまえば本作は岡田麿里の煮汁が出まくっています。これでもか、です。それは良くも悪くもだな、って思ったしそれゆえにダメな人は絶対ダメだよね、ってレベル。

 基本的には製鉄所の爆発に伴って、見伏(主人公の名前も菊正宗だし、伏見なんだろうか、海あるけど)(追加の注記:菊正宗は伏見じゃなくて灘の日本酒だった)の街が隔絶されてある種の箱庭的な空間になり時間の経過もストップしてしまった世界。再び時間が動き出した時の為に、変化が厭われ自分確認表を記入し続ける日々。そこがまあある種の死と生の境のギャップみたいな土地になった見伏で、でも体感時間は経過しているんだから変化なんかないし、そこに因子として現実世界から久野美咲幼女が投入されるっていう。

 久野美咲演じる五実は、実は主人公の正宗と睦実の娘であり、現実世界とはそれだけの時間の隔絶が生まれていたのだ!的な構造上の逆転の話っていうのは面白いっちゃ面白いけど、『さよならの朝で約束の花を飾ろう』でも時間経過逆転親子っていうのはやっているモチーフ。その上でそういう世界から現実に送り返す話にしたっていうのは一個ひねったかな、とは思います。その代わりに、クソ面倒な女キャラ上田麗奈っていう岡田麿里的なる登場人物を配置したり、男女4×4のグループの中での三角関係的な恋愛ドロドロだったりを見せていくのも岡田麿里お得意というか、もはやテンプレ的ですらある。恋に生きると決める原さんが事態をかき回して悪い方に転ばすあたりは非常にっぽい。まあ、あんまりにも忘れ去られすぎた園部さんとあっさり数合わせで去っていった仙波くんが多少可哀想ではある。

 で、こういう人間関係のどろどろした感じとか、青春の感覚っていうのは時間の止まった世界を描くっていうこととの親和性があるし、冒頭のスタッフロールの出方含めて目指したっていうあの頃の角川映画感っていうのも分かります。これは岡田麿里の凄くいい面。でも、そこの長所を出そうとしてくと、どうしても恋愛至上主義っていうか、ちょっとそっち偏重になっていってしまっているようにも思える。時間が止まった世界の中で、大人でもない子どもでもない中学3年生っていう設定を持ってきてしゃべらせているのに、夢や将来について考えるフェーズは仙波くんに任せてフェードアウトして、割と性と恋(好き嫌い、痛いと居たい)に全振りしちゃっている。痛覚こそが生を感じるっていう雰囲気で使われていくけど、ヘテロな恋愛ベースにしすぎてちょっとマッチョな感覚が男性陣には強く感じられたうえで割とそれが肯定されているようにも思える。(この点はLGBTを題材にした『放浪息子』という作品の脚本を岡田麿里はやっているのでそこを見なきゃなぁ、と思っている。)

 あ、あと悪い意味で岡田麿里っぽいのは感情の機微の描き方がすぐれている分、やっぱり論理面では少し足りないなっていう感じはしますよね、っていう。映像としては現実と幻の見伏がクロスオーバーしてるのは面白かったけど、あっこまでなっているのならトンネルに突入させるのが難しかったり、色ボケおじさんが兄弟の死ぬ決心を聞いて「おっしゃ俺も変わらなきゃな」で甥を殺しかねない世界改変阻止側に回るヘンテコさとか、時間経過の説明の下手さとか、うんそういうのは余りあります。

2.岡田麿里って日本

 上記の岡田麿里的な要素がにじみ出まくっている作品だな、っていう風に思ったわけですが、日本のアニメのここんとこの発展を語るうえで「岡田麿里」っていうキーワードは当然ひとつの要素としては出てくる訳です。上映前に岡田麿里及び大塚学MAPPA代表取締役兼プロデューサーのトークを聞いていても「出られない、逃げられないにまだ囚われている」なーんて発言が出てきたり。こういう現状への閉塞感、そしてそこから打破していく衝動とそのための恋と性っていうのが岡田麿里的なわけです。それを現実を軸に書いてきたからセカイ系とかとそんなに接近していなかったのかな、と。

 で、そういう2010年代っぽい日本アニメっていう道筋はアニメがポップカルチャーとして周知され出した時期とも合致することで日本そのものとも捉えられるようになる。製鉄所が爆発して時間が止まってしまう、っていうのはやっぱり現在日本の抱える閉塞感がリンクするっていうのは感じちゃう。そういう視点で捉えてしまうと本作はそこに対しての解答っていうのは持ち合わせていないとしかいいようがない。というか、むしろ現実には廃れた地方の祭りのノスタルジーを未来として送り返す形だし、幻の世界でも好きな人といることが生きてくことの実感なんだ例え今すぐ終わるとしても、っていう中学生の恋愛みたいな結論。いや中学生の恋愛なんだけど。この辺のバランスは難しいな、自分が一体何を求めているんだろう。

 危うく自省に入りかけたのでそれはやめましょう、兎にも角にもMAPPAが非常に気合を入れた素晴らしい映像で、岡田麿里の濃度を高めた作品を提供してくれています。是非。