抹茶飲んでからマラカス鳴らす

FC東京サポで鷹党のどうでしょう藩士による映画・アニメを中心とした感想ブログ

招き入れる「午前4時にパリの夜は明ける」感想

 どうも、抹茶マラカス(@tea_rwB)です。

 今回は『アマンダと僕』のミカエル・アース監督最新作。主演のシャルロット・ゲンズブールはじめ、役者陣は全員素晴らしかった。

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WATCHA4.5点

Filmarks4.3点

(以下ネタバレ有) 

1.それは劇的だけど激的ではない

 この作品は、夫が家を出ていった主婦のエリザベートとその子ども2人マチアスとジュディット、3人家族の回復の物語。家族から「夫」「父」という存在が失われ、これからどうしていこうかしら、という中でマチアスも将来をどうするか決めかね、ジュディットは政治運動に精を出している。家族がどうなるか分からない中で、タルラという女の子を保護したことから一緒に過ごすようになり、そして暫くの後、家族というものから解き放たれてそれぞれがそれぞれの人生を歩むように、家から巣立つまでの物語。

 思いがけない喪失、それを瞬間で切り替えて前向きに生きていくなんてできない。でも自分のペースでいいからそれを受け入れて生きていくことはしていこう。そういう凄く優しくて、でも厳しくもあって、そして寄り添ってくれる。そういう点では『アマンダと僕』とも非常に似ているテーマではありますが、アマンダの時は子どもと青年が同じ境遇の中でゆっくり立ち上がっていくのを一緒に見ていく心境でしたが、今回は同じような視線を持ちつつ、家族(それは必ずしも血縁とも限らない)的なコミュニティだったり、人と人との出会いの中で、生きていくことは勿論だけど、その立ち上がった瞬間だけが偉いんじゃなくて、そこまで抱えて過ごした時間も大切に一緒に持って次の人生に進んでいこうっていうニュアンスを感じました。エリザベートにとっては、離婚し、職を得て、子どもが巣立ち、引っ越す、という凄く劇的な物語なんですけど、2時間何も起きない映画、という言い方が出来る映画でもある。

 色んな人が出てはくるなかで、やっぱり家族っていう言葉を選んじゃうのは今回の映画が家に招く、という行為がとても大切に扱われている気がするから。勿論、ラジオ局にゲストとして訪れたタルラが行く当てがないことから、エリザベートが家に招くこともそうですが、その後もタルラの部屋を訪れる際には必ずノックして呼びかける動作が入っている。最初はタルラに招き入れられるまでマチアスは戸をあけても部屋には入らない。あるいは、87年のシーンにはなりますが、回復の途上を一番急激に過ごしたタルラは映画館に人を招き入れる職に就き、エリザベートの彼氏も「君の家ばっかりだ。今夜はうちに来るかい?」と問い、エリザベートはそれに応える(ラジオ局の同僚との一瞬のラブでは彼が家に来なかった、なんてのと対比かしら)。ジュディットが家を出た後、彼女の暮らすシェアルームに訪れることでエリザベートは子の成長を実感するし、物語のラストは引っ越しの準備だ。そもそもの発端となるラジオ番組からして、夜から朝4時までの時間に来訪者を迎えて話す、というスタンスであり、エリザベートは電話を受けて招き入れる役目。人を招く、繋がりをこちらから出ていくのではなく受け入れる形で作っていく。そして、日本人からしたらエグい近距離ではあるが、コミュニケーションを取って支え合っていく。

 こうした内容が、もはやミカエル・アース印といっていいかもしれない、すごくドキュメンタリックでありながら、説明もなく時間が何日か飛んでいくような編集、美しい風景を切り取る撮影で彩られて気づけば時間が過ぎていく、そんな映画。酒もたばこもガンガンするし、映画はタダ見しちゃうけど、薬だけはやっちゃダメという映画。やっぱり好きな監督だ、ミカエル・アース。