抹茶飲んでからマラカス鳴らす

FC東京サポで鷹党のどうでしょう藩士による映画・アニメを中心とした感想ブログ

エモエモのエモ「グリッドマン ユニバース」感想

 どうも、抹茶マラカス(@tea_rwB)です。

 今回の感想はGRIDMANの頃から続くネットラジオ宮本侑芽広瀬裕也のとりあえずUNION改めとりあえずRADIO改めとりあえずUNIVERSEからの引用しかありえないでしょう。エモエモのエモ!!!

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WATCHA5.0点

Filmarks4.9点

(以下ネタバレ有)

1.痒い所に手が届く

 まずは重要なのは既存ファンを満足させられるか。お祭り映画ですからね。そういう意味ではまず1000億点。SSSS.GRIDMANで起きたことをそのまま文化祭の演劇台本にする形で振り返りつつ、文化祭の準備がメインとなることでグリッドマン同盟の3人の学生生活(なみことはっすも!)をしっかり描けてて。導入が完全にグリッドマンなのに、そこに出現した怪獣、グリッドマン復活に新世紀中学生との再会、そしてガウマさん改めレックスさん登場でユニバースがちらちらり。そこからのダイナゼノン組の登場でテンションは一気に上がりつつ、ダイナゼノンではお別れを言えなかったガウマさんとダイナゼノン組との再会、ガウマさんとお姫様の再会(それもcvはシリーズにアーティストとして関わってきた内田真礼で)、六花ママの愉快なトークを挟みつつ、アンチくんとアノシラスちゃんも参加して、最後はアレクシス・ケリブとアカネも参戦。でもこれがただの雑なお祭り映画だから参戦っていうんじゃないからまた素晴らしいし、アカネはちゃんと実写から登場するし、っていうかダイナゼノンの世界は一体なんだったのかが改めてちゃんと語られるし、うわーお、完璧。よもゆめカップルのいちゃいちゃっぷりも、六花に告白したい裕太っていう点でいい対比になるのにファンサービスでもあり、これまでシリーズを追ってきた人たちは死にます。で、守らなきゃいけない3つのもの、約束と愛と賞味期限。約束を守るために、六花はアカネと会わない。でもアカネとアンチくんの和解もあるし、あの二人の確かな繋がりをそこに感じられる演出もある。きちんとした別れが描かれ、そしてアレクシスは最後まで信用されない。やっぱりこれまでシリーズを追ってきた人たちは死にます

2.お祭り映画を超えて

 無論、お祭り映画ですから派手に行きましょう。誰しもが予想していたとは思いますが、やはり合体のインフレーションは起こります。起こりますが、アレクシスにアカネが搭乗するとか、そういうのはサプライズで準備してあるし、怪獣はグリッドマン復活、ダイナゼノン組登場、ラストバトルの3つしかないはずなのにこの満足感とインフレ感。ここにはっきり断言しますが、合体のインフレはちっとも悪くないですね。もう終盤の誰がどれにくっついてるんだかわからなくなってくるぐらいの合体は、個人的にはグレンラガンの最終決戦を思い出したりしてました。滾る。あと、キャリバーさんと恐竜の頭空中で交換してそんまま技決めるのとか最高すぎる。っていうか、マジでアカネ参戦からのグリッドマンユニバースとして戦ってそのままダイナゼノン組が再登場してからインパーフェクト&UNIONのスーパーオーイシマサヨシタイムは最高すぎやしませんか。どっちのテレビシリーズでも勝ち確BGM的にテンションを上げてくれる音楽でしたけど、今回もぶち上げることこの上なし。その上でuni-verseの歌詞読んだらえぐいて、あんた。オーイシさんはこの物語が意味するところを理解したうえでこれだけのものを作り上げてるのは本当に稀代の才能なのでは??

 で、もういまやマルチバースという言葉でみんな色々理論武装してますけど、本来的には日本において同一シリーズの異なる作品が、なんだったら異なるシリーズですら同居して作品を作るお祭りっていうのは、特にウルトラマンや戦隊ヒーロー、仮面ライダープリキュアといったジャンルで特に説明もなく行われてきたことであり、お祭り映画なんだからそういうもんでしょ、程度の納得感で片付けていたはずなんです。ある意味でそれは幸運だったし、今となっては後発でこれをやるには色んな理由付けをしなくてはいけない。その中で、今回のグリッドマンユニバースはグリッドマン世界に他の世界が重なってきている、と定義。グリッドマンを悪用されて銀河そのものがグリッドマンとなり、その合体性能を活かして複数世界ががっちゃんこされそうになっている。

 これが上手いのが、なぜ都合よく?となれば、グリッドマン由来の世界だけが融合していく話に出来る上に、それはグリッドマンの大オチだった、この世界は新条アカネに作られた世界である、という点や、新条アカネの帰った世界は実写だったことを考えるとダイナゼノン組は何故アニメーション世界なのか、への回答になりうるということ。と同時に、作られた存在であることを理解しているグリッドマン組がそれでも自己を定義して生きていくのが先達としてダイナゼノン組に作用し、フィクサービームで直っていく街とは違い、どこか足りない(それは記憶の欠落も含めて)、でもその足りなさって現実世界の僕らとも同じじゃん?みたいなとこで燃える。で、そういう中で割と空っぽな入れ物に近い描写をされている響裕太が主人公という入れ物として機能しながら、みんなの書いたうろ覚えのグリッドマンをかき集めて形作って、そして最終的には我々の現世にあるあらゆるグリッドマンのシリーズ作品を媒体を問わずユニバースしていく。ユニバースしていく、という動詞は自分でも意味が分からず使っているが、基本的にtriggerの作品なんて意味が分かんないまま勢いで言葉を紡いでくものなのだ。「なんだかわけの分からない」ものが世界を救ってくれるのがtriggerだし、そしてその「なんだかわけの分からないもの」っていうのは、このSSSS世界ではフィクションであり、虚構なんだよ。彼らは虚構の世界に生きて虚構に救われる。それがすべてでそれがユニバースなんだ!