抹茶飲んでからマラカス鳴らす

FC東京サポで鷹党のどうでしょう藩士による映画・アニメを中心とした感想ブログ

退屈「イニシェリン島の精霊」感想

 どうも、抹茶マラカス(@tea_rwB)です。

 今回はいよいよノミネーションも発表されたアカデミー賞の候補作品を。これからオスカーのシーズン!って感じです。

 さて、ここで問題です。ある男は、アイルランドで旅をしていて一回もパブを通り過ぎなかった。本作でも分かるように、アイルランドやイギリスではパブはどこにでもあり、重要な文化だ。何故男は一軒もパブを通り過ぎなかったのだろう。

 答えはこのブログの最後で。

The Banshees of Inisherin: Screenplay

WATCHA4.0点

Filmarks4.0点

(以下ネタバレ有)

1.断絶

 いやー面白かったですね。昨日まで仲良しだったのになんか突然断交されてその対立がエスカレーションしていってしまうお話でした。勿論、何度も描かれるアイルランド本土での内戦っていうものが前提にあり、どこか箱庭的に人間同士の対立が戦争になっていく状態を寓話化したものであることは間違いないでしょう。

 上手いな、と思うのは明らかにブレンダン・グリーソン演じるコルムが突然拒絶しだして、やっべー奴だな?と思って見ている、コリン・ファレルの困り眉芸を楽しんでいたらあれ、こいつも結構ヤバいのでは??になっていって気付くとコルムの方の言い分の方が正しいように思えるっていう逆転構造。これで手打ちにしようよ、争いなんて言ってるコルムの方がまともに見えてくるんですよねぇ。不思議。まあ指全切りしてる時点でどうかしてるんですが。

 個人的には、戦争っていうよりはもっと現代社会の普遍的な断絶、クラスタ化、みたいな話だな、って思って。ある日突然態度が豹変するっていうのはこう「気付いた」人っていう感じがしたんですよね。何らかの陰謀論とか、そういう話のことでもいいですし、シンプルな右傾化やナショナリズムみたいな話でもいいです、そこのフェーズは受け取り方次第(モーツァルトについての知識が雑な当たりがいかにも)。ただ、そういう風に片方が「気付いた」時にこれまでの関係性が崩壊するし、バリー・コーガンのキャラをちょっと無意識か意識的か下に見ちゃってる感じもそうだし、そういう雰囲気を感じました。で、それに構っているうちに穴二つになっていく感じ。どっちかと言えばそういう構っているうちに、の側の人間なのかな?っていう自覚も少しあるのでどうしても多少響きますよね。で、そういう諍いに対して面白がっているお店のおばあちゃんやパブの店主たちとかのちょっと引いてみたり、面白い知らせがねぇとか言って見たり、あの辺がもうちょっと大多数の世論、的な感覚。そういう意味ではやっぱり島が箱庭になっているのは、戦争とかの話と同じですね。

2.今そこにある退屈を愛したい

 さて、「退屈」ってすっごい難しい言葉ですね。コリン・ファレル演じるパードリックは、コルムにお前との会話は無意味で退屈だと断罪されてしまう訳です。優しいだけの男は200年後に名前を残さない。でも音楽は残る。そういってコルムは作曲を始める訳ですが、じゃあ退屈なことは悪いことなのか。島を出て行ってしまったシボーンにとっては、このコルムを含めてこの島自体が退屈だったわけだし、逆にバリー・コーガンにとってはもしかしたら全部が退屈じゃなかった感じがある。島の対岸で内戦が起きている、すぐわかるところに戦火はあるんだけど退屈。でも、退屈を平和と読み替えるとそれは俄然尊いものになる。実際、退屈じゃなくなったら家が燃え指が切られる訳で、そんな有意義なんて全くいらないですよ。ただパブに行って酒を飲む。その無意味の積み重なりが人生だから、人生って尊いコスパタイパみたいな効率とかじゃない人生がいいんだから、無駄なことを楽しみましょうよ、って。映画なんてウソしかないんだから時間の無駄だよ??なーんて思います。大いなる無駄を愛しましょう。有意義なことだけを追求していたら、私は今すぐ死んだ方が有意義です。ただ、文化に対してまるで関心のないパードリックの側にも私は立てない。コルムくん、退屈は悪くはないよと言いながら半身でパードリックくん、本を読め、音楽を聞けと言う。ある意味でこの映画に私の居場所はない。だから1番近いシボーンは島を出て行った。

 大事なのは、退屈を維持するために誰かを攻撃したり、排斥しないことなのかな。自分の退屈もだけど、他人の退屈も大事にしたい…あれ、これってコルムに説き伏せてるのと同じになってる??指投げられるか??

 

 

 さて、冒頭のウミガメのスープの回答。その男はパブを一軒も通り過ぎず、すべてのパブに入って飲酒した、が正解です。水平思考クイズの中でも結構好きな問題。