抹茶飲んでからマラカス鳴らす

FC東京サポで鷹党のどうでしょう藩士による映画・アニメを中心とした感想ブログ

国会でルドヴィゴで見せよう「あのこと」感想

 どうも、抹茶マラカス(@tea_rwB)です。

 今回はノーベル文学賞を受賞したアニー・エルノー原作の映像化。ノーベル賞と日本公開が被るというのは、色んな人に見られる一つの可能性が増えることになるのでとても素晴らしいことではないでしょうか。内容が内容だけに、全人類が見るべきなのでね。ちなみに、ヴェネチアで金獅子を獲った作品でもあります。

Evenement (Folio)

WATCHA4.0点

Filmarks4.0点

(以下ネタバレ有)

1.中絶が違法。それっていつの話よ…?

 まあとにかく本作はフランスで妊娠中絶が違法だった時代に、重要な試験を前に妊娠してしまった女子学生アンヌを描いた物語。〇週という字幕と共に、彼女が中絶手術を受けるに至れる12週目までの彼女のもがきと焦りをカメラワークや音楽で緊迫感を高めながら我々も受け止めなくてはならない。

 目を引くのは、やはり妊娠を巡る環境の悪さ。ルームメイトたちとパーティ?っていうかクラブ的なので夜遊びしたりしている訳だが、そういう層でもルームメイトたちは性行為自体はダサい史観とでもいおうか、やれるときはやったんで、ではあるがやりはしない、でもモテたりしてないのはクソダサいという凄く面倒な空気感が漂っていて、夜遊びを咎めてくる優等生層とはまた違う感じ。耳年増な処女。そんな中で、シャワー空間や冷蔵庫が印象的なように、プライベートっていうのがあんまりない寮での共同生活の中で妊娠が隠しづらい訳で、ルームメイトにも打ち明けるタイミングが来る。その時のブリジットの拒絶感がすっごく辛い。これがばっちい!みたいな拒絶感ではなく、それはあんたの問題なのでこれ以上この件については話しませんよ、関わったら刑務所送りなんで、っていう温度感で、シスターフッドを安易に匂わせる感じじゃない。(ちょっとマイスモールランドを思い出したりして)当事者でないと感じられない絶望がそこにあって、医者に見せたら渡された薬は流産防止だと後に分かったり、妊娠中ならリスクないよね?とか言って迫ってくるヤツだったりと、男どもはこのやろう…ともなってしまう。なんだったら、妊娠を受け入れなさい、それは偽の薬だよ、って言ってくる医者がいいやつにすら見えるバグ。

 前述の通り、アンヌ自体遊んでいる訳で、勉強はしたいけど避妊せずセックスも楽しみたい、みたいなタイプらしく、なんとか中絶の目処が立った途端じゃあやっぱり低リスクじゃんと、消防士とヤリだしちゃうしで、大絶賛あんたの肩を持ってあげますよとは言いづらい存在なんです。(こここそ、彼女の欲を否定せずに構造を否定するために重要だと言う感想を見かけました。確かに。まだ私の中に痴漢されたのは露出の多い服着てるからだ的な思考があるのだと思います。)それでも、結局学業の為に中絶したいのに中絶費用400フランの捻出の為に教科書や所持品を道端で売っているところとか、あまりにも痛々しすぎる実際の中絶シーン、そして流産が確定するトイレでのラスト。

 こういうのを見せられてしまうと、誰かを責めるのではなく、社会を変えることの必要性を強く強く感じる訳です。勿論、望まない妊娠は起こらない方がいいし、その為の避妊や性教育を訴えていくことも必要。ただ、そうなってしまったときに、キャリアや将来を犠牲にして何も選べない社会で彼女を責め立てるのではなく、そうなってしまった場合でも彼女が人生を選択できるように社会を制度設計してくのがいいじゃないですか。それがセーフティネットってものでしょう?最後に流産できて良かった、カルテに書かれたのが「中絶」ではなく「流産」だったことで彼女の人生は救われた!って思う社会は、どこかおかしいと思います。絶対産め!って言ってるんじゃないですよ。

 当然、この映画、射程は現代アメリカ保守層に一番ぶっ刺さるとは思います。アメリカの最高裁でのロー対ウェイド判決の破棄から始まって、中間選挙でも超重大争点となった中絶の権利に関する諸問題は、まさに劇中で語られたような女性に決定権の無い社会を目指しているようにしか見えない福音派に対して、60年代フランスの価値観ですよ?って言ってるようにしか見えない。勿論、順序で言えばアメリカが勝手にそうなってきているんですが。ただ、勿論これはアメリカ固有の問題じゃないし、例えば経済的な困窮・社会格差の拡大で増える問題のひとつなので日本にとっても決して対岸の火事でもないはず。「産む機械」とかいうふざけた認識が国会議員の間でまかり通る国なのですから。