抹茶飲んでからマラカス鳴らす

FC東京サポで鷹党のどうでしょう藩士による映画・アニメを中心とした感想ブログ

連続する選択「ジュリア(s)」感想

 どうも、抹茶マラカス(@tea_rwB)です。

 今回は見たい見たいと思っていたのに(ちゃんと5月に見るかもに優先度4で載せているぞ!)気づけば1日1回上映になったこの映画。23時上映終了の回の後に帰宅して書いているからさ、雑文乱文は許そうね。

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WATCHA4.5点

Filmarks4.4点

(以下ネタバレ有)

 

1.MCUは今すぐスカウトすべきでは?

 本作はジュリアという女性が2052年、80歳の段階から過去を回想する形の作品。1989年、ベルリンの壁崩壊のアムステルダムから始まり、いくつかの人生の転機を迎えていく。ただ、その転機は分かりやすいものではない。本当にちょっとした偶然で人生は転機を迎える。この映画で言えば、ベルリンの壁崩壊を見に行くための無断外泊でパスポートを落としたことに気づく一瞬の差だったり、本屋で従業員とぶつかるか否かで並ぶ列が変わった差だったり、コインの裏表だったり。で、この分岐が起きたものを同時並列的に見せていくのがこの映画の特殊なところ。最終的にジュリアが本当に歩んだ生涯を関わってきた人たち全員でのスタオベで出迎えるという最大級の祝福を描くんですが、いやそれ以外の人生だってこうなったかも、というものを描く。序盤に分岐したのは、ベルリンに居着いたベルリンジュリア。これも母の死というタイミングでちゃんと回収されるので、ベルリンにいるときのジュリアの髪色を覚えておこう。その後、書店で劇的に出会わなかったせいでコンクールに負けたけどエージェントに見いだされて最終的に高校の同級生と恋仲になるナタンジュリア、書店で劇的な出会いをしたけど妊娠に伴いキャリアを犠牲にしたら不倫されて自殺未遂をするスーサイドジュリア、劇的な出会いをしたけど事故に遭ってキャリアを失い高校の合唱部顧問になるシン・ジュリアという分岐となる。ごめん、一応帰ってから紙に書きだして分岐を確認したけど間違っているかもしれん。〇〇ジュリアは分類上命名しました。

 で、これらの4つの人生っていうのをほぼ同時並行で進ませ、チェックポイントで収斂させながら説明セリフは一切なし(SFじゃないので相互干渉がないから説明もそりゃない)で描き切るうえに、時間経過もガンガン飛ばしていく120分。脳みそフル回転なんだけど、それが楽しいし、ちゃんと分かる。衣装、ヘアスタイリング、小道具を含めた美術、そして素晴らしき主演のルー・ドゥ・ラージュのどの人生でのどの感情なのかを分からせるパーフェクトな演技、そして長編初監督とは思えぬオリバー・トレイナー監督及び脚本カミーユ・トレイナー。ここんとこのマルチバース映画として、『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』は非常に似ているが、あれは何にも分からないミシェル・ヨー及び観客にマルチバースを講義する時間が与えられ説明がたくさん。また、『ドクター・ストレンジ/マルチバース・オブ・マッドネス』もまた説明しているしエブエブ同様にマルチバースの横の幅っていうのを存分に見せてあらゆる可能性があるよっていう見せ方をしていた。翻って本作は、シームレスに違う人生を完璧に描き分けている。ベルリンの壁を見に行けたジュリアを部屋から見ていたり、子どもが生まれたジュリアの窓越しに不妊治療に訪れるジュリアがいたりで人生分岐の平行移動をしてみせる。これは恐ろしいことですよ。恐ろしいことをこともなげにしているうえに、それが分かるように出来ている。こんな凄いことは無いですよ。どうしても技術点としてこの2作より上の点数はつけたくなります。

2.人生の核

 どの人生を選んでも、ジュリアの人生はどれも苦難に満ちているし、どれも一定以上は幸せ、だと思います。単に現状というか、今の人生を肯定するよ、っていう意味合いも出ている作品ではありますが、すっごい大事だなって思うのはやっぱり音楽の存在。劇的な出会いをして、そのおかげでコンクールを突破して、結婚もして。「いわゆる」幸せと思われた人生だったのに、不倫されて親権も奪われて一番どん底にいってしまったスーサイドジュリア。でもそこから立ち直らせるお父さんの言葉は「良い父親じゃなかった。でも音楽を強制したことはない」でした。ジュリアの人生には常に音楽があったし、そしてそれは勿論環境要因かもしれないけど彼女をどの人生でも支えていた。一番放っておかれたベルリンジュリアも結局ピアノ工房を開いていた訳です。どんな人生になったとしても、何か救いになる核があれば、寄る辺があれば。この映画を見て自分にとってもサッカーがそうなるといいな、って思えました。

 っていう綺麗事は勿論素敵な感想として残してはおきたいですが、それはそれでちゃんと考えなきゃいけないこともちゃんとあった作品っていうことも述べなくてはなりません。そもそもこの映画でジュリアがキャリアか家庭かの択一を迫られる形なのが、もう良くないことだし、最初は好きなことより金をとるよ、君が音楽で稼げるようになったら僕は好きなことをするさ、なーんて言ってた旦那が役割分担だ!俺は金を稼ぐ!って言いだしてるのほんと萎える訳で。果たして主人公を男性に据えた時に、いやマルチバースには絶対なるし、無限のストーリーはあるんだけど、前提としての強制的な分岐発生イベントが性別段階であるっていうのはもう社会のバグじゃないですか。そんな社会あかんですよ、って話ですよ。