抹茶飲んでからマラカス鳴らす

FC東京サポで鷹党のどうでしょう藩士による映画・アニメを中心とした感想ブログ

流動化する境界「TITANE/チタン」感想

 どうも、抹茶マラカス(@tea_rwB)です。

 えー今回は1か月前にオンライン試写で見ました、カンヌを制覇した作品です。コレにカンヌをあげるのか、すごいな、この時の審査委員長誰だっけ…スパイク・リーか、なるほろ…

Titane

WATCHA3.9点

Filmarks4.0点

(以下ネタバレ有)

1.痛い。痛そうがありすぎる

 えーとですね、シンプルに痛そう!がめっちゃ多い映画でした。つらみ。怖いのも嫌なんですけど、痛そうなのも苦手っちゃ苦手。痛いよりも、痛そう、ですね。グロいのは良いんですけど、近づいてくる、みたいな雰囲気とか、直接見せずに、みたいなのとか本当に痛そうで辛い、目を切りたくなる。

 勿論、今回の代表例としては、まず主人公のアレクシアさんがそもそも事故で負った怪我の跡がずっと見えてて痛々しい。本人はそのことを気にしてもいないんですけど、人を殺しまくってる時に頭から出血してたりするんで、ヒヤヒヤするんですよ。ほんと心臓に悪い。で、それ混みで、乳首ピアスに髪が絡まるとか、かんざしを耳から貫通させるとか、椅子の脚を口から突っ込むとか、洗面器に鼻をダイレクトアタックして人相変えようとしたり、股間に簪突っ込んだり搔きむしって自分の身体を傷つけていくことが多くて、本当に痛そうでした。

 大体ね、私は耳に穴をあけるピアスですら痛そうで嫌だし、指先に安全ピンとか貫通させて遊んでるやつとか昔いたじゃないですか?ああいうの本当に見たくないんですよ。じゃあなんでこの映画見たんじゃいっていう。

2.究極に視覚化された「ローズマリーの赤ちゃん

 結論から言えば、私の解釈では、本作は完全に「ローズマリーの赤ちゃん」の後継作品だと思いました。女性の抱える生きる上での恐怖を妊娠とクロスさせつつ、今までは例えばリー・ワネルの『透明人間』ではそれの心理的な圧迫を描いたりしていたのを、モロに視覚的に表現したっていう。即ち、妊娠っていう自身の身体が全くの他者、それどころか異物に侵食され、全く自己でコントロールできなくなっていくっていうプロセスの視覚化ではないか。

 以下、金属と身体の接触で金属を異物化させていた描写を振り返ってみる。

 勿論、まずは交通事故ののちのチタンだが、一旦置いておき、乳首ピアスに焦点を当てたい。一般的な身体として提供されたシャワーを浴びる際の裸体。だが、そこにはピアスがされており、しかしそれが身体と一体化しており、彼女は意に介さない。だが、これに髪が絡まった時、無理やり引っ張るとそれは確かに異物として機能する。

 やはりその次に注目したいのは、殺人シーン。必殺仕事人とばかりに、簪をぶちかまして人を殺すわけだが、それだけでなく、妊娠が発覚した際にも、ものすごい覚悟&形相で殺しにかかる。

 ここで、最序盤に交通事故に遭ったアレクシアの頭部を救ったチタンプレート、それからアレクシアが気合で折った鼻に彼女を息子として引き取ったヴィンセントが当てるカバーも金属製。即ち、金属と身体の接触はシンプルな悪ではなく、場合によっては医療行為、命を救うものとしても描かれる。そういう文脈で言えば、救急に駆け付けた消防署のお仕事映画かよ、みたいなシーンも挿管っていう、金属が命を救うことになるんですね。ヴィンセントのステロイド注射もそういうジャンルかもしれん。

 そこからは、妊娠しているアレクシアの身体が金属化していく、っていうか彼女が交わった相手ともいえる車化していく、っていうとこですよね。彼女は身体を掻きむしっているけど(これにも搔把みたいな意味あるのかな)、その皮膚の破けたところから見えたのは鉄板。彼女の腹が引き裂かれて(帝王切開のメタファーだと思うんだけど)どんどん鉄が露出していき、最終的に産声を上げた赤ちゃんにも金属が見えていた。

 序盤に金属に対する異物感・加害性を強く見せておいて、でもそことの親和性も見せる。こんなにおかしい他者に乗っ取られていく状態が妊娠なんだよ、っていうお話に見せてるし、赤ちゃんっていうのも最初はもろ異物なんだよ、とも感じる。これって凄いローズマリー的じゃないですか?

3.男女の話として

 シンプルに女性エンパワーメント的な映画として捉えれば、まずは序盤と終盤の対比が美しくそれを描いていたな、って思います。パーソナルスペースガン無視でやってきた男が窓から顔突っ込んでくるのは、もろ強姦のメタファー(というか断れない状態でキスまでせがんで来た段階でもうそれは強姦といっていい)で、こいつをぶっ殺してる時点で楽しいんですが、まあそれはこの時点ではそっち方向に進むのかな?なんて思えてるから。

 ところが、後半にヴィンセントに心を許したような状態になり、ヴィンセントからどんなお前でも息子として扱う、と言われての儀式が髭を生やす。即ちシェービングクリームを塗って、それを剃刀で剃るというもの。シンプルに金属と身体の接触であると同時に、この2人の関係性においてはこれが許される、っていう描写でもあります。

 同様にダンスシーンも挙げておきたい。まずは序盤はセクシャルなものとして、自動車の横で自動車を駆使しながら踊るそれは完全に搾取されている側のものだったように思えました。しかしながら、究極にホモソーシャルだった消防の世界で、消防車の上で踊ったシーンは、男性として振る舞っている状態で踊っているにもかかわらず、男連中が完全に困惑っていうかドン引きしており、ここに彼女は肯定されているように感じました。

 ここまでヴィンセントについての言及が弱いので最後に。彼もまた、いなくなってしまった息子と消防署社会でのマチズモに閉じ込められてステロイドを常用しているやべー人な訳ですが、ある意味で彼はそこから解放される。ステロイドのせいだと思うんですが、朦朧としてしまって、彼は自分自身に火をつけてしまい、死にかける。その直後、彼はアレクシアの裸体を目撃、息子としての彼女を捨て去ろうとしましたが、彼女の懇願を受け入れ、そして彼女の出産を手伝う。そして、明らかに非人間的な金属がくっついている赤子の父として、生まれなおしたように思えた。それはある意味で、彼がまだまだ「息子」という概念にとらわれているようでもあり、かつての息子から脱したようにも思える。