抹茶飲んでからマラカス鳴らす

FC東京サポで鷹党のどうでしょう藩士による映画・アニメを中心とした感想ブログ

良くも悪くも「バッドガイズ」感想

 どうも、抹茶マラカス(@tea_rwB)です。

 今回は海外アニメですね。吹替はみんな上手で、チョコプラの長田さんが少し気になるかな?ぐらいでヤスケンはもう表情からヤスケンに見えてとても好きでした。

The Bad Guys: Movie Novelization (Dreamworks: the Bad Guys)

WATCHA3.5点

Filmarks3.5点

(以下ネタバレ有)

1.これぞ王道

 さて、イルミネーションが確たる地位を築き始めている中で、日本においては出遅れた感のあるドリームワークス。まあそれはドリームワークスジャパンが悪いんだと理解していますが。

 そんなドリームワークスが上手くいっている『ボス・ベイビー』に続く大きなIPとなりそうなのが本作です。実に王道、実に配慮の行き届いた優等生作品でございました。

 展開としてはケイパーもの。ウルフ、スネーク、タランチュラ、ピラニア、シャークっていう5人組の泥棒たちの物語。ケイパーものっていう風になるともうそれはある程度楽しいことが確約されるジャンルでもあるんですが、それが動物っていうことでその特色を生かす形にもなるということでそこのワンダーもあります。そしてそれが過去の名作への敬意に溢れていれば猶更のこと。

 OPはタランティーノですよね。アニメで長回しをやることは非常に珍しいことで、カメラが動いた瞬間に「おっ!」って思いましたよね?それから、豪華なパーティでスリを働いたりするケイパーものっていう点では、多人数なのも含めてオーシャンズシリーズへの敬意を感じますし、おいよく見たらオークワフィナいんのかよ、お前オーシャンズ出とるやないか!!となる。そして何よりルパン三世ですよ。バッドガイズを捕まえることに生きがいを感じている警察署長さんが最も如実に表れているように感じましたが、他にも非常に劇的だったカーチェイスの車の揺れ方とかも、カリオストロ味がしますね。是非次回はスネークが「今回ばかりは俺は降りる」なんて言ってほしいものです。演出的には2Dと3Dをどっちも使ってスパイダーバースとかミッチェル家のソニーの手法に近いアニメーションの手法。

 一方で、こういうサンプリングを良い!と言ってしまうとこの映画本来のオリジナリティとしてどうなん?っていうところが持ち上がります。テーマ的な疑義は次項にとっておくとしても、モチーフだけでも結構勝負のところが他社に先にやられたうえで負けちゃった感があるんですよね…。大きく勝負だったと思われるビジュアルで強いモルモット大行進っていうのは、『ザ・スーサイドスクワッド "極"悪党、集結』のクライマックスのラットキャッチャー2が実写でやっちゃっている。あれもディズニーへの意趣返しが乗ってて強い。そして、モルモットがヴィランであるということと、見た目で判断できない動物という点では夏にやっていた『DCがんばれ!スーパーペット』の方が強い。まあこれはスーパーヒーローのコンテクストがあっての作品なので同じ土俵に乗っけるのは可哀想でもあるんですが、でもやっぱりインパクトは向こうに軍配が上がるかな…。やっぱね、悪く見えるけど良いやつ、より良く見えるけど悪いやつ、どんどん悪くなっていくやつの方が好きなのよ…

2.性善説

 本作のテーマとしては、バッドガイズというタイトルからも分かるように善と悪。悪で走り出した物語ですが、捕まって善への転向をセラピーされる。ちょいここが長い中で、本当に悪い奴と本当は良い奴っていう話になる。

 まず一個目のノイズは、善悪の基準が曖昧というか、おかしいこと。会場で転んでいたおばあちゃんを助けてしまったときに撫でられてウルフが善に目覚める訳ですが、それぐらい悪いって言われている奴でもするって。挙句、スネークがシャークにアイスキャンデーをあげちゃうことすら善と言い出す。おいおい、まじかよ。そこで線引きされちゃうと、単独犯じゃ無いと義理人情は出てくるもんでさ、こいつら頭から良いもんなのよね。複数形のsが付いた瞬間この命題が成立しなくなる。

 次に気になったのは、尻尾フリフリで善に気づく、見た目で判断するなという割に理性が善悪を判断する話ではなく本能で性善説って話の部分。見た目で差別されてきたキツネとオオカミで対比するのはうまいが、善悪はどっちにも個人のうちにあって、それでどっちを選ぶかって物語に見えて、本能で善を喜ぶっていうものが仕込まれていてそれに気づいてないだけっていう設定なのがどうにも納得できない。それでいて、友情とかが善にカウントされちゃっちゃーね。んで、それに気づいたからオーケーではなく、ちゃんと罪を償ってリスタート、ってオチなら、市長も罪を償ってからじゃないと同じスタートラインには立てない。

 最後は、善悪で言えばアナウンサーとバカみたいに盛り上がるチャリティパーティの客よね。あの辺の善だと思い込んでる悪とかそういうとこまで批評しないと今はもう足りないように思われる。あのアナウンサー、明らかに醜悪に見えるように、そして典型的に見かけで判断するフレーズを使うようにキャラ造形されているのに、そこに対しての作中での批評が無い。うーん、製作陣との善悪の感覚が違うのか、日米で違うのか、そこが分からないですね…。