抹茶飲んでからマラカス鳴らす

FC東京サポで鷹党のどうでしょう藩士による映画・アニメを中心とした感想ブログ

遠のく戦争「機動戦士ガンダム ククルス・ドアンの島」感想

 どうも、抹茶マラカス(@tea_rwB)です。

 今回は機動戦士ガンダムの映画です。初代の話をまだやるんか!っていうかハサウェイの続きはいつ!!あとなんで100分超えてんのに特別興行なんだ!お前らはいつも1900円持って行く!高木さんは短いのにクーポン使えたぞ!!

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WATCHA3.0点

Filmakrs3.2点

(以下ネタバレ有)

1.戦争の脱色感

 まず、全体を通して思うのが情報の知ってる知ってないがふわふわしている。ドアンが島で何をしていて、アムロはそれをどう知っているのか、いつ伝達が行われたのか、サザンクロスが妨害しているやつがククルス・ドアンだといつ分かったのか、発電機を何故直してはいけなかったのか、全体的にふわふわしていて、この「ククルス・ドアンの島」という話はもう知ってるでしょう?っていう視聴者側との共犯関係があまりにも強すぎる。長編化するにあたって、派手な出来事になっちゃったせいで、結末にも疑問を感じるように。ジオンの報復が絶対にあるよね。だって、カサブランカの戦線を何とか維持できていたのはサザンクロスのおかげなのに、それがあの島で全員死んで、しかも「パリは燃えているか」になっちゃう訳で。マ・クベさんは必ず報復するはず。そこで戦争の匂いを消そうっていってあのザクを沈めちゃうのは自殺行為に見える。そもそも、初代ガンダムは戦争をアニメに落とし込んだ初めての作品のはずだが、実際のオデッサが攻撃され、ウクライナが侵略を受けている時に、専守防衛の戦力すら放棄させて、平和を、というのはいまいちすんなり落ちる感じはしない。逆にものすごく戦争っていう文脈を脱色しているだけになっている。だから、戦場になることが分かっている軍法会議モノの違反をしたホワイトベースの面々がカツ・レツ・キッカっていうところが、子どもに子どもをぶつけて仲良く、みたいな作り手の雑念で作られている感じがして嫌になる。っていうか子ども多すぎない…?どうやってあそこに運んで、どうやって維持していく展望だったの?

 で、そうなってくるとやっすい「殴ってなぜ悪い」再放送とかも嫌いになってくるのだ。いらないじゃん。アムロに、子どもたちを守る為なら仲間とも戦えるか?とドアンは問い、アムロは応えた。その前振りになっているなら、「殴ってなぜ悪い」はまだいいけど、結局アムロは仲間と刃を交えることなく、っていうかあいつら何しに来たのっていうレベルで終わる。サザンクロスの前座だとするのなら、あれだけの尺をつかったカサブランカの戦闘はいらないし、それどころか抜群の連携だったのにドアン相手には各個挑んで撃破される茶番で、本当に可哀想。

 オリジナルキャラで言えば、既に戦争を知ってしまっているアムロに対して邪心なくガンダムに乗ろうとしてしまうマルコスは、戦争を知らない、匂いを消そうっていう結論には至れないキャラで、アムロとの対比としては有能なのだが、作品全体が前述のように戦争の脱色方向に働いている中で、アムロを戦争を知っている文脈でとらえるのは、これまた視聴者の共犯関係が必要、というかテレビアニメシリーズのアムロとの対比であって、本作のアムロは別に戦争の匂いをさせ続けている訳じゃねぇし、っていう痛しかゆし。マルコスの存在自体は別に文句はないし、一見機能しているように見えるから難しい。

 作品のテーマ、オチとして戦争の否定、武器の放棄に向かうことはわかるが、作品として戦争からは離れようとしすぎてる、的な?伝わりますかね。