抹茶飲んでからマラカス鳴らす

FC東京サポで鷹党のどうでしょう藩士による映画・アニメを中心とした感想ブログ

イタリア映画祭2022にて「スーパーヒーローズ」感想

 どうも、抹茶マラカス(@tea_rwB)です。

 今回はこのGWの最重要イベント、イタリア映画祭の感想です。

 『ザ・プレイス/運命の交差点』が2019年上半期7位、通算13位だったパオロ・ジェノヴェーゼ監督の最新作!『おとなの事情』を見て別れたカップルに見てほしいと監督はおっしゃっていた純愛映画です。

Supereroi

WATCHA4.5点

Filmarks4.6点

(以下ネタバレ有)

1. 20年愛を描く

 今回は、監督のこれまでのワンシチュエーション、ストレートな作劇を今回は転換!時間軸をいじりまくります。基本的には、あるカップルの出会いからの10年と、後半の10年をシームレスに動かしながら進んでいく感じ。

 まずは冒頭の雨宿りで2人の出会い。雨宿りしただけで多分一目ぼれしたマルコが、アンナに話しかけながらずぶぬれの法則を話しつつ、傘を買ってきて、そこに自分の電話番号を書いておく、というお洒落なナンパを決行。イタリア人って気障だわ。すると、今度は場面が変わり、マルコは歩行器を手にしているし、2人は新居に引っ越した様子で、マルコの準備した10のろうそくが刺さったケーキが。記念日は嫌、なんてアンナが言っていて時間が飛んだのが分かる。結局、これは終盤まで時間軸がどう飛んでるのかが把握が大変なので、どういったシーンかは答え合わせをしてくれるまで必死に考えるしかないんですが、それぞれの10年間の冒頭を示していたことが分かる。

 で、監督が終了後のQ&Aで答えてくれたように、前半の10年はレンズも古めで、すこしぼやけたような、暖かめな光をイメージしたショットが多く、マルコの髭が剃られているのが大きな特徴に(ちょび髭期がややこしかった。これは前半の10年の後期、一旦デンマークに赴任していて2人が別れていた時期ですね)。後半の10年は、常に青いライティングや青い衣装が印象的で、寒色を多用したシャープな画作りをしていて、一応見れば時間が変わったことが分かるようにはできている。結果的に、それぞれの時間ではストレートに進んでいるので、メメントほど難しくないが、前半と後半でそれぞれ似たようなシーンのところで一瞬で時代が変わるので、ある程度の心地よい集中を要求される感じである。

 ただ、この時間軸をいじられて、それぞれの時期のエピソードを小出しにされる感じは、個人的には題材となっているコミックととても相性がいいように思えて、何巻の何話、っていうのだけを引っ張り出したらこんな話で、でも似た話あったな、と別の巻を手に取って広げている、そういう感覚を映画的に再現することに意図せずか、意図してかは分かりませんが、成功しているように思えました。

 さて、手法はともかく、そこまでやって内容はといえば、純愛。時間と空間は本来関係ない、過去も未来もない、あるのは現在だけだ、と講義する物理学者のマルコが時間と恋愛、というものの考え方が変わる、っていうそれだけの話だ。マルコは自分が脳梗塞で死にかけてすら、人生の時間の有限性には気づかなかったのに、その10年後にアンナが脳腫瘍になって初めて時間の有限性に気づく。これまで子どもを作る決断をしてこなかったのも「将来」「未来」というものの存在を共有できていなかったからだし、その決断を下せるとアンナに対して思えたのに、終わりは突然にやってくる。じゃあその将来ってなんだよ、っていう。だからね、やってることって実は『君の膵臓を食べたい』(実写)が一番近いんですよね。あ、実写の方が近い理由はアンナの方のテーマを考えればわかるので後述します。突然訪れる死っていう時間の終わりに対して、恋愛感情っていうものはどう定義できるんだろう、っていうのを時間軸をいじりながら見せていく。シンプルな会話が面白いのに、そこにちゃんとメッセージが込められている。上質の極みです。

 

10年夫婦ならヒーロー。でも、生きてるだけでヒーローよ。それはコミコンが表してたよ。ソーもロキもキャップもバットマンもアクアマンも蛇喰夢子もヒーロー。夫婦が安定する秘訣は、安定しなければ夫婦じゃない。ヒーローになる秘訣もそう。

時間と恋愛。マルコの入院と重なるようにアンナも病に倒れ、時間は有限だとわかる。でも、そこで彼女がヒーローとして生きていく、っていう終わり。

2.誰もがスーパーヒーロー

 さて、マルコが時間が有限だと気づく担当であるならば、アンナの側はどんなテーマを持っているのか。ひとつは勿論時間に関してですが、もう一つは彼女の職業。

 アンナはマルコと出会った当時は、その人の未来の顔を書く、という路面画家をしていた。見知らぬ他者と未来を共有し続けていた。そして、そこからシリアルの3コマ漫画の担当するようになり、人々の今に寄り添い、そしてしっかりしたコミックブックで自分の分身を活躍させる連載画家となった。前半と後半で連載内容は変わっているが、やはり重要なのはタイトルにもなっている「supereroi」だ。これは夫婦二人がスーパーヒーローという、絶対アメコミにもあるだろ、という設定だが、これも完全にアンナとマルコの分身で、彼らに日常に降りかかって、乗り越えてきたものをヒーローとしての彼らにぶつけていく、それだけの漫画だ。だが、それが漫画になったことで、彼女のイマジネーションと二人の愛は、少なくとも空間を超え、そしてそれが残り続けることで時間も超える。最高のラストカット、マルコと息子がアンナの死後でも彼女の残したコミックを読み、そして彼女は今でも息子の隣に。

 話が気づいたらコミックが題材のことから時間の方にずれてしまいました。この「スーパーヒーローズ」というコミックは、スーパーパワーがどうとかそういう話ではなく、10年付き合えばそれでスーパーヒーローっていう。安定した関係を築くには?に対して、安定してなきゃ付き合えない。と返すやりとりなんかも印象的。そういう順序の逆転的なレトリックっていうんですか?これを使ってしまっていいんですよ。つまり、ヒーローになるには?じゃない。みんなそこにいればヒーロー。生きていればヒーローなんだよっていう。そう思うと、ただの不倫しちゃったっていう場面にしかみえないイタリアのコミコン?的な会場も途端に人間賛歌に変わるっていう。キャップもアクアマンもロキもバットマン賭ケグルイもみんなヒーローです。大好きな作品でした。