抹茶飲んでからマラカス鳴らす

FC東京サポで鷹党のどうでしょう藩士による映画・アニメを中心とした感想ブログ

私のシモキタはもうないけれど「街の上で」感想

 どうも、抹茶マラカス (@tea_rwB)です。

 今回は今泉力哉監督作品の感想。多作なんですけど、監督作の鑑賞は『アイネクライネナハトムジーク』以来でしょうか?

f:id:tea_rwB:20210608004453j:image

WATCHA4.0点

Filmarks4.0点

(以下ネタバレ有)

 

1.たまらん若手俳優合戦

 今泉力哉監督作品といえば、まさに今!そしてこれから!という生きのいい若手役者が勢ぞろいするのが特徴と言えるでしょう。初めて劇場で見た『パンとバスと二度目のハツコイ』は深川麻衣伊藤沙莉志田彩良。『愛がなんだ』で岸井ゆきの成田凌。そして本作では、『愛がなんだ』に引き続いての若葉竜也、穂志もえかの2人に古川琴音、中田青渚、萩原みのりとこれまた生きのいい俳優陣が揃っております。若い俳優陣の顔がちっとも覚えられない私みたいな人間にとっては、こういう若手大集合みたいな作品は非常にありがたかったりします。まあ次見た時にはまた顔を忘れてるんですけど。

 んで、彼らの中でやはり別格だったと言わざるを得ないのが若葉竜也。『愛がなんだ』の時も良かったのを覚えていますが、本作の前半、物語がどこに向かっていくのかちっとも分からない状態の時に、それでも画面を引っ張っていけるのは彼の憎めないボンクラ感のなせる業なのは間違いないでしょう。若葉さんは間違いなくイケメンなのに、青くんはうだつの上がらないシモキタの古着屋!って感じの佇まいとしゃべり方。勿論、「え」は今泉作品にはよくあるシーンではありますが、彼は見事にそれを体現していたように感じました。

 そして勿論、中田青渚!若葉竜也とめちゃくちゃ長い時間部屋で話す時間を耐えきる力は凄いし、まあ本作を見てやれたかも委員会が発動しない男はいないのでは。彼女の登場によって、物語ですらなかった青の生活が徐々に物語になっていき、一気にドライブがかかっていく重要な役回りで大変魅力的でございました。だがあえて言いたい、私は彼女の魅力を既に昨年『君が世界のはじまり』で完璧に気づいていたということを!!

2.私の「シモキタ」と彼らの「シモキタ」

 この作品には大きく2つの対立軸があるように感じました。

 1つは「生」と「死」。

 古本屋の店主は何が原因とはしっかり断定されませんが、亡くなっている。それによって、どこか断続的に続いていきそうな物語に少し暗めの影を落とす。それと共に、マンガのあるシーンが街を切り取ったように、その瞬間の下北沢はあるのだけれど、それとは別に下北沢は常に変わり続け、生き続ける。バーの彼、死んでないといいな。

 もう1つは「創作」と「現実」。

 映画の冒頭は、青が参加した大学生の卒業制作の映画のカットされてしまった出演シーンから。奇しくも、『映画大好きポンポさん』にて映画とはカットすることだ!なんてものを見ただけに、印象深い幕開けとなったが、これが作品に通底してくる。前述の「生」と「死」にも寄り添ったような考え方だが、ある一瞬で下北沢はあらゆる創作物の舞台となる。だが、その裏には無数の見られなかった景色が存在し、それが現実として生き続けていく。青くんのシーンは映画には残らなかったが、劇的に彼の人生は続いていくし、時間は止まらない。この創作と現実の対立軸を非常にうまく浮かび上がらせているのが城定イハの自宅だ。青が映画の撮影に臨んだ際、待機室として使われていたその部屋は、青にも、映画を見ている我々にもハウススタジオか何かの創作上の必要物として扱われる。だが、打ち上げ終わりに城定イハが青を連れ込んだことで、その場所は現実の城定イハの生活の場としての意味を持ち始め、椅子は脇に片付けられている。場所の読み替えが起こっている。

 誰かにとってのその場所が意味を違えて、でも現実は進んでいく。そう思えば、この映画の舞台となる街・下北沢自体が顕著にそういう場所なのだ。勿論、かつてからの演劇・サブカルの街としての側面はあるし、だからこそのラーメン屋珉亭だ。だが、それから時がたち、井の頭線は地下に潜り、今や駅前の風景は全く違ったものになっている。

 思えば、私にとっての下北沢は10年以上前にWCCFをやりにゲーセンに通った街であり、駅前のマックで屯し、DORAMAデュエルマスターズのカードを買い漁った場所だ。ゲームセンターも閉まり、カードゲームのコーナーなんて見向きもしなくなって、劇中でも登場する映画館トリウッドに行くぐらいしか、現在の下北沢は分からない。それでも、私の下北沢は永遠にあの下北沢だし、私の人生だって続くのだ。