抹茶飲んでからマラカス鳴らす

FC東京サポで鷹党のどうでしょう藩士による映画・アニメを中心とした感想ブログ

全ての映画ファンに届いてほしい「映画大好きポンポさん」感想

 どうも、抹茶マラカス (@tea_rwB)です。

 ポンポさんを試写で見ってきたぞーっ!

 という訳で『映画大好きポンポさん』の感想です。緊急事態宣言中は映画館に行っていないので、るろ剣とバンドリを見て以来の新作でございました。

映画大好きポンポさん オリジナルサウンドトラック

WATCHA4.5点

Filmarks4.5点

(以下ネタバレ有)

 1.ベタを納得させてくる

 本作は実はかなりベタな感じのする話。夢見る持たざる者であるジーンが抜擢されて新人映画監督に、同じくヒロイン的扱いとなるナタリーもフックアップされるシンデレラストーリー。そこにメンター的な役割の人物がジーン、ナタリー双方について個々がゴールに向けて1つの作品を作り上げて成功する。これだけ聞くとすっごく普遍的なストーリーでそこに新規性はない。ついでに言えば、鑑賞後にpixivで読んだ原作は映画後半の編集の作業が全くないので、より単純な成功譚になっている。

 そしてそれは、作品内作品である「マイスター」に関しても同様だ。ジーンくん自身がポンポさんによる脚本を読んだ際に言及しているが、物語としては帝王と呼ばれた音楽家の転落と再生を無垢な少女との出会いを通して描くこれまた普遍的なもので特別さはない。

 だが、そこに説得力を持たせてくれるのが声優陣と画面の構成力。

 まずもって小原好美さんですよ。厳しいプロデューサーの側面を持ちつつ、天真爛漫さを兼ね備え、そして何より彼女の天才性、審美眼に説得力がないと、映画のプロジェクト自体がただの無謀な映画を撮る物語になってしまう。どこかアホっぽさを感じるのに確実に知性と怖さを持っている唯一無二な感じは彼女でないとありえなかった気がします(よく考えるとこの特徴、かぐや様の藤原書記のスペックと似ている…?)

 あともう一人、もういっこの説得力として、この「マイスター」が素晴らしい作品になる、っていうことを納得させるだけの俳優として出演している大塚明夫さんも特筆。無論、今まで通りの名演ではありますが、それにしてもやっぱり凄い。撮影中の緊迫感とオフの時の頼れるベテランとしての振る舞い、そして陽気さ。全部出せてる大塚さんの安定感があって初めて、大谷凛香さんと清水尋也さんの初々しさが際立ってまばゆい光を放つのです。

 そして画面の面白さ。実写映画ではできないぐらいの多用な編集手法を用いたり、美しい背景や崩した表情、アニメ映画としての撮影の良さも含めて多彩な画面が話がベタでも引っ張ってくれる。その甲斐あって、ラストの鬼神のようにカットしまっくてるジーン監督のシーンは乗ってきますし、「例えば」のかかり方も素晴らしかったですね。

2.映画はひとりでつくれない

 原作を読んでびっくりしたんですが、この映画の一番の楽しみどころである編集作業の段階は実は完全にオリジナル。確かに、撮影のシーンがあっさり済んでしまったりで盛り上がりどころを逃したかな?みたいなとこもあるんですが、そこで全体を通して繋がってくるのは、「映画はひとりでつくれない」という綺麗事じゃすまない創作論。

 映画を愛するひとたちが集って作られる、その一人一人がプロフェッショナルで極限の仕事をしつつ、その誰もが欠けてはいけない、というメッセージが語られる訳ですが、それがポンポさんが映画に求める90分でメッセージを詰め込んで伝えろ!にビシッとはまっているし、おまけにそれで本編90分なんだから完璧。

 「映画はひとりでつくれない」っていう綺麗事じゃないことに対して、追加撮影にかかる費用、手順とかを説明したうえで、それでも足りないシーンがあるんだ!とすっごい綺麗事で押し切る剛腕。

 そして夢を追う人たちから一歩離れたところで夢を応援する立場として登場する映画オリジナルの銀行員アランの物語。追加撮影によって試写会に間に合わず、メインスポンサーが降板する緊急事態、綺麗事じゃすまない大ピンチをアランのジーンに対する羨望と「人の夢を応援するのが銀行マンの仕事だ!」という綺麗事でこれまた押し切っちゃう。そしてその夢にクラウドファンディングで全世界も応援するっていう綺麗事。綺麗事サイコー!

 勿論、銀行員が融資会議をこっそり全世界中継しちゃうという職業倫理の問題や、こっそり見ていた頭取がフォッフォッフォと出てきて決済しちゃう感じのベタ中のベタな展開の賛否は多少感じますが、現実と創作の狭間でいい折り合いなのかな、と思います。

3.優れたクリエイターとは

 っていうことで、映画の出来自体には大賛同しつつ、ちょっと気になるのはやっぱりクリエイター論。ポンポさんがジーンくんを選んだ理由は「目に光が無いから」。幸福は創作の敵っていうのは、ここ数作の細田守を見ていると感じることではありますが、しかしそれでいいのかと。ポンポさん自体、面白いって言ってるとはいえB級映画を職人監督と撮り続けている訳で。そして、ジーンくんも編集作業・追加撮影の中で、天才は何かを捨てて、っていう二元論で話を進めている訳で。家族を、友情を、生活を捨てたか?と己に問い続けて完成させる。それ自体はとってもドラマティックなんですけど、そのクリエイター論と映画論でいいのか?は踏みとどまっていいのでは。ポンポさんは泣かせる話で感動させるよりB級で感動させる方が凄くね?みたいに言いましたけど、泣かせる映画も大事よ?みたいな相対主義っぽいことを言ってみたり。

 原作が2017年ってことなので、それから4年経って、特に舞台になっているハリウッドは超娯楽大作かインディペンデント作品ばっかりになり、中くらいの作品は配信行きっていう現状に対して何かしらの創作的な解決策とか理想論の提示には至ってないかな、と思います。