抹茶飲んでからマラカス鳴らす

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ベトナムの闇くじ問題とは「走れロム」感想

 どうも、抹茶マラカス (@tea_rwB)です。

 本作は、現在受講中の映画評論家松崎健夫さんのカルチャー講座でチラと言及があったので、これは!と思って鑑賞してきた作品。

映画チラシ『走れロム』5枚セット+おまけ最新映画チラシ3枚

WATCHA4.5点

Filmarks4.5点

(以下ネタバレあり)

 

1.本作は検閲されています

 まずは冒頭、本作の題材である闇くじ「デー」についての説明がテロップでなされるのですが、それをふむふむ、と読んでいると衝撃が走ります。なんと本作は、既にベトナム政府の検閲を受けて修正されたバージョンである、と明記されるのです。作品本来の評価とは違う視点軸になってしまうとはいえ、いったいどこが修正された箇所なのだろう、と興味を以て映画を見てしまうのは必定。調べれば、本作はもとになった短編『16:30』というのがあり、(劇中でも出てくる公営くじの当選番号の発表時刻ですね)それがカンヌでも入選。それを長編化して釜山国際映画祭に出品、ニューカレンツ部門最優秀作品賞に輝いたものの、ベトナム国内の規定では海外映画祭に出品する前段で検閲が必要であり、それを無視して出品したために罰金が処されたという。ベトナムの映画、と言われてもよく考えるとベトナム戦争を舞台にした映画ばっかりで、ベトナムで作られた映画を見た記憶があまりないこともあって、そうか、ベトナム社会主義国家だったな、ということ再認識させられる訳ですね。

 えー、あとで見ます。

2.圧倒的画力。それはマジでどう撮ったのか

 本作の題材は「デー」。ベトナムで公的に行われているくじの当選番号下2桁を予想する闇くじで、胴元やら賭け屋やら細分化された組織があり、誰もそのすべてを把握はできていないような感じ。そして本作の主人公のロム、そしてライバル的立ち位置のフックは町の人々から賭けを集めて賭け屋や胴元の下にお金を持って行く走り屋というポジションで日銭を稼いでいる。走り屋の名前の通り、とにかくこの映画は良く走る。雑多な町々の間の通路を走り回り、フックにいたってはパルクールも駆使して屋根やら2階やら樋やら通るので、雑に作ったアクション映画の追跡シーンよりも興奮するでしょう。っていうか、した。さながらベトナムトレインスポッティングとか、地獄めぐり版スラムドッグ・ミリオネアとか。うん、別にダニー・ボイルっぽい映画ってわけでもないんですが。

 そのうえで、登場人物の誰もが金に飢えているので金を奪って、奪われてみたいなことが勃発する訳ですが、フックとロムの追いかけっこのシーンは本当にすごい。普通に店の中とか使いながらの追いかけっこかしら、と思ったら、そのうち橋を越え、発展しているだろう街中に出てきて、車やカブが往来する中で交差点のど真ん中で殴り合いする始末。殴り合いも、デザインされたアクションというよりも、普通に子どもの殴り合いのけんかの感じが強く、っていうか交差点封鎖する予算もない気がするので、多分ゲリラ撮影。今年見たイラン映画『ジャスト6.5』もいや全員エキストラってまじかよ、なスラムのシーンがありましたが、それに匹敵する、えーこんなの映画に残せちゃっていいのかよ、なシーンでございました。取っ組み合いの末に、電車に轢かれかけるシーンですら、ゲリラ撮影に見えましたからね、マジで。

 デーについては以下のサイトが詳しかったので、ぜひ。

www.nikkan-gendai.com

3.それでも人は信じれる?

 そんなこの映画で徹底して描いているのは「信じる」こと。

 だが、綺麗事の綺麗な「信じる」ではないのがまた悲しい。ロムの住むアパートの住人が賭ける2桁の番号を決めるのも、ほぼほぼ神頼み。そもそも且つて、ロムの言った数字に賭けたら大当たりしたことがあったので、ロムは予言屋としても暮らしているのですが、まあ10×10の100通りだけですからね、そりゃまぐれで当たりますよ。ところが、それぐらいの教育もおそらく受けていない為、住人たちは自宅を担保にして借金してまでロムの言った数字で賭けるので、外れたらロムを鬼の首をとったように責め立てたりする。あるいは、自分の娘と嫁の墓を見つけたら賭けてやる、とかいうカックさんとか、なんか民間伝承まるだしの方法や、さっき偶然時計を見た時この数字だったとか、とにかく珍妙な理由で賭ける数字を決めていく皆さん。貧困の状況から抜け出す手段がギャンブルになって、そこに雑多な信仰が混ざって走り屋にシャーマン性が付与されて、それはそれはカオス。

 また、これはアパートの住人達もそうですが、発展に伴う開発でスラム的な地域は立ち退きを常に要求されており、ロムは両親が立ち退きの際にいなくなってしまった過去を持っている。別れ際の言葉が「ここで待ってて」なので、その言葉を信じてその場所で10年も待ち続けているのだ。

 結局ロムは親を捜すための資金を作るために、スラム街に火を放つが、その間に賭け屋で優しくしてくれたギーにその資金を盗まれる。だが、ロムはギーを疑わず、フックを疑う。そこで信じなかったからか、後にうまくやっているように見えた2人だが、フックがロムを裏切ってまた金を持ち逃げする。そうまで裏切り裏切られされ、高架下でしょぼくれていたロムの目の前に3人の少年が。襲われると感じて、咄嗟に土を掴んだロムだったが、彼らは新しいパン(バイン・ミーかも)をくれて立ち去って行く。最後の最後に、もう一回優しさを提示してきて、果たしてロムは信じれるのか、と終わっていく。信じることの辛さと強さを両面で描いた傑作だったと言っていいのではないだろうか。

4.デーは減ったらしいが

 ラストのテロップで、デーはかつてよりも減っていることが語られた。借金してまで階層移動を試みることが出来ないほど、経済格差が広がったのか。しかし、ある別の可能性に思い当ってちょっと目の前が暗くなる思いになった。これ、デーが日本にやってくる技能実習生になっただけなんじゃないだろうか。アパートの人たちの信じていた夢は、この場所に住みたい、床屋を開きたい、その程度のささいなものだ。その夢の原資として今あるものをベットして大金を夢見る。これって仕組みは大金を借金して、日本で稼いで仕送りをする技能実習生と仕組みがまるで同じではないか。その途端、この映画が怖くなる。