抹茶飲んでからマラカス鳴らす

FC東京サポで鷹党のどうでしょう藩士による映画・アニメを中心とした感想ブログ

信じていいのかこの眼球を「ファーザー」感想

 どうも、抹茶マラカス (@tea_rwB)です。

 映画館が帰ってきました。いや、勿論ミニシアターはやっていたんですが。緊急事態宣言中は行くまい、と思って自粛しておりましたが、地味に公開される新作を横目で眺めながら、ついに行ってしまいました。いいじゃん、シネコンが再開したんですもの!

 という訳で、アカデミー賞で波乱を起こした作品『ファーザー』の感想です。いやー、アカデミー賞の予想にBAFTAがさらに重要になりましたな。

The Father (Original Motion Picture Soundtrack)

WATCHA4.0点

Filmarks4.1点

(以下ネタバレ有)

 1.目を皿にして臨むべし

 本作は100分以下でありながら、スーパー疲れる仕上がりになっております。

 それというのも、認知症を主観視点で描いた映画であるため。最初の10分程度でアンソニー(演じるのはアンソニー・ホプキンスとかいう複雑さ)の娘アンを名乗る人物が2人現れることからも顕著なように、信用ならない語り手の作品。そのため、得られる情報を最大限把握すればするほど深い思索が出来るので、あらゆるものを目に焼き付けておいた方がいいんだと思います。

 勿論、同じセリフを違うキャストが話したり、同じ場面が訪れたりすることで、そことそこが同じタイミングなの?みたいな分かりやすくする工夫はしてくれていますが、決して親切設計っていうほどじゃない。指摘される腕時計や絵画、椅子だけでなく、私の気のせいかしら、カーテンとか、ドアの色とか、結構こまごま変わっていたような気がします。配信およびディスクになったタイミングでちゃんと止めながら見ると発見が多そうではあります。しんどいからしたくないですが。

2.眼球って、視神経って、脳ってそんなに信用できる?

 とまあ、目を皿のようにして臨んだところで、あっさり撃沈してしまうのが本作。

 我々は、スクリーンに映されているものを厳然たる真実、客観的事実として受け止めて、映画を鑑賞しています。ところが、本作はいわゆる主観視点のショットなんか殆ど無いにも関わらず、事実上アンソニー視点の映像なので、そのすべてに信用がおけない。具体的に言えば、例えばエマージェン・プーツ演じた介護のローラは存在するのか、アンソニーの知り得ない情報のはずのシーンだって彼の妄想の可能性はないのか?その辺も一切ちゃんと説明はございません。散々言うMy Flat!!だって、どんな様子だったのか、恐らく亡くなった末娘ルーシーの絵が飾ってあっただろう、ってぐらいしか確たることは言えない。

 スクリーンに映っているものが真実と言えなくなる時、それはいわゆる客観的事実というものが、この世には皆無だということになってしまう。何かを表現するどころか、その前の受容の段階で主観は入り込むのだ。一体どうやったら、その水晶体を通り、網膜に映って、視神経を通じて、脳に伝わる映像が本物であるといえるのか。認知症追体験的側面の強い映画だが、伝わってくる本質としては、健忘症とかなかろうが、お前の見ている世界が誰かのそれと同じとは思うなよ、とつきつけてくるのだ。うっわ、つら。これを演劇でやってた、っていうのも凄いが、ちゃんと映画としても成立する脚色も見事であり、十分に鑑賞料金におつりがくると言えるのではないだろうか。いや、ちょっと待て、お前の網膜に映ったのは、本当にアンソニー・ホプキンスだったか?問い始めるとキリがないが、多分それは信じていい…よね?

 

 ちなみに、私は祖父が認知症になって結構してから昨年亡くなったので、突然暴れるようになったり、すっかり私を認識できなくなったり、私を客人扱いしたりもしたので、その辺を思い出してちょっと辛くもなりました。これが当事者だったら、と思うと恐ろしいというか、この映画に論評できる時点でそいつは自分を含めて安全圏だな、と思い知らされた感じがします。