抹茶飲んでからマラカス鳴らす

FC東京サポで鷹党のどうでしょう藩士による映画・アニメを中心とした感想ブログ

縦関係は貧富の差だけではない?「プラットフォーム」感想

 どうも、抹茶マラカス (@tea_rwB)です。

 今回はスペインSF映画。洋画大作は壊滅している現状ですが、こういう気になる作品が結構公開されているので映画館ライフは全然楽しみなのです。まあそもそもアメリカではネトフリ配信のようですが。

 スペイン映画っていうと「マジカルガール」の印象しかないな…

El hoyo

WATCHA3.5点

Filmarks3.6点

(以下ネタバレ有)

 

1.単純なルール設定。これが邪悪な「スノーピアサー」

 本作のルールは簡単。

  1. 0階層から順に台に載せられた食事が降りてくる。
  2. 持ち込めるものは1人1つ
  3. 1か月ごとに階層はランダム移動
  4. メシは台があるときしか食えない

たったこれだけでございます。

 いわゆる設定1本勝負のワンシチュエーションの作品なんですが、最後まで見せる力はあった作品だったかな、という風に思います。

 状況の分からなさを徐々に分かっていく感じとしては、「CUBE」が多く挙げられていますが、まさにその通り。主人公同様、観客も情報を徐々に獲得していくような感じ。

 また、上下がまんま社会階層や貧富の差に直結しているシステム、という世界観では「スノーピアサー」も類似作品ですね。え?この映画の為に見た2作品だからって、わざわざ言及しなくていいって?うるせえ、せっかく予習したんだからいいじゃないか。

 まあ本気で「スノーピアサー」とはかなり近いと思います。ポン・ジュノは列車の装飾等で雰囲気を変えながらクローズドな空間を持続させましたが、本作はもっと変わり映えしない閉鎖空間。一応0階層から333階層まで真ん中の穴は吹き抜けなんですが、精神的にも非常につらい閉鎖空間と言っていいでしょう。夜は消灯ではなく赤い照明に変わることで表現されているのも特徴的ですね。

 んで、中身に入っていくとですよ。この作品は絶対にTBS山本匠明アナウンサーのフードウォッチメンで取り扱ってほしいと思うほど「食」が重要なテーマ。まず開始から「樹海村」の予告でホラー耐性の無い人間をビビらせて(偶然)、金属を打つような不快な音で始まります。初めて食事がやってきたとき、主人公のゴレンは食事をしませんが、同室の老人トリマガシはむしゃむしゃと食っております。この時の咀嚼音がまあ不快で不潔なこと。この段階で、人類がもたらした箸やフォークといった食器の概念が素晴らしいことを再確認させられると同時に、ものを食べる行為の動物的な印象を強く受けます。人間の尊厳を失わせるように描写するには、残飯がこんなに効果的とは。

 次の階層移動では、まさかの低層階。そしてここで食べ物がすっからかんになったことで当然危惧される事態、食人が発生します。モザイクがかかっていることで直接は見えませんが、これは却ってこの方が行為の禁断性を感じさせるかもしれません。まあモザイクは無い方がきっといいのだとは思いますが。

 すっかり台の上の食糧だけでなく、この施設の中のものはすべからく食糧だ、という敵義付けが観客にされた段階で新たな同居人がやってきますが、彼女の持ってきたものは犬。そんな愚かな…と思っていたらまあ結局案の定。んで、色々あって新たな同居人と共にゴレンは食料を最下層まで行き届かせる挑戦をするのですが、その最下層で出会った子どもがパンナコッタにかじりつく様子が何故か尊く見える。咀嚼音もあるし、手でぐちゃぐちゃに食っているのに、そこにどこか生への執着と美しさを感じる。同じ行為一つでも全く見方が変わる不思議な瞬間でした。

 冒頭で、人類は上にいるもの、下にいるもの、転落するものの3種類しかいないと評されます。確かに、本作ではそんな人しか出てきません。ところがゴレンは最終的にパンナコッタではなく、最下層の女の子を上げることにした。上昇するもの、という冒頭の分類に無いことをする、システムを壊そうとする、その様子は彼が持ち込んだ「ドン・キホーテ」のような勇猛さ・無謀さを感じさせます。

2.宗教的な意味と経済的な意味

 解釈というか、考察になるんでしょうかね、こういうのは。

 まず分かりやすいところで言えば、現在の社会の貧富の差を象徴したシステムですよね。トリクルダウンとか言いながらちっとも最下層にはその恩恵は行かず、結局上部の人がいい分だけ支配する。下の者へは命令できるが、上の者へは話しかけてはいけない。クソは上向きにはできないのだ。もっといえば、第1階層であっても料理人たちが作る料理に生かされており、別に支配しているわけではない。こういう枠組みを管理している人間が一番強いんだろう。

 つづいて宗教的な意味。えー、調べるのが面倒なので雑ですが、2番目の同居人の連れてきた犬の名前はラムゼス2世でした。エジプトのファラオらしいのでなんか意味があるのでしょう。エジプト史は勉強していないから知らん。あー、あと南北問題みたいなのも絡んでるか。北が富めて南が貧する。

 また、おそらくは宗教的指導者と思われる人物が作戦決行中にパンナコッタをメッセージとするように助言していましたが、あれもなんか意味がありそうな気がします。ついでに、食人で血を飲む感じはどこかキリストの血を飲む感じを想起させたので、聖書的な意味も深そうです。でもこの辺は言及だけにしておこうと思います。

 では、一体何を考えるのか。それはこの話において何度も降下して子どもを探していたミハルと最下層にいた子どもがアジア系だったこと、トリマガシが持ち込んだナイフが「サムライ・プラス」だったこと、日本刀が武器として登場していることです。即ち、この施設は西洋的宗教観だけでなく、東洋的宗教観にも属しているのではないか?と感じたのです。

 ランダム移動とはいえ、ある一定の階層を上下動しているのは単なる縦移動に感じますが、そこに回転を加えるとどうなるか。いわゆる周回軌道っぽくなり、円のような移動と捉えることが出来ます。つまり、この施設に収容されたものはいわゆる輪廻転生的な移動をしているのではないでしょうか?だからそこには「食」という俗世的な何かが絡む。そしてその輪廻から抜け出そうと死を選んだものも、結局同室者に食われてしまうのでその一部として抜け出すことができていない。ということは、最後のゴレンの行為によって最上層にたどり着くだろう女の子は解脱をなし得たということで、涅槃にたどり着くのではないでしょうか?そうじゃなきゃ、スペインのSFにこれだけアジア要素があるのは不思議な気がします。