抹茶飲んでからマラカス鳴らす

FC東京サポで鷹党のどうでしょう藩士による映画・アニメを中心とした感想ブログ

最悪の奇跡とは「NOPE/ノープ」感想

 どうも、抹茶マラカス(@tea_rwB)です。

 今回はジョーダン・ピール監督最新作。ホラー苦手と言いつつ、ちゃんと劇場に行くべき監督だと思ってます。弊害は、予告編がホラーまみれになることですね。貞子の予告編は怖くは無かったが。

【映画パンフレット】 NOPE ノープ 監督 ジョーダン・ピール 出演 ダニエル・カルーヤ、キキ・パーマー、スティーヴン・ユァン、

WATCHA4.5点

Filmarks4.5点

(以下重大なネタバレ有)

 

1.東宝特撮の旗手は君だ

 はい、見終わった感想は完全に東宝特撮じゃん、これ。に尽きます。明らかに狙っている。知っている。間違いない。(使徒とか言わないでね、それは思ったけど)

 事の起こりはすごく小さい感じで、飛行機の部品落下が直撃してOJの父が亡くなる。なんか怖い映画だと知っている私たちは尋常ならざるものを感じるが、作中ではそうではない。ここから緩やかに、しかしスティーブン・ユァンの催し物で決定的な事態に陥るっていく、そういう怖がらせ方、そして何らかの異物がそこにいる、それと戦うというプロットは、それ自体に他の意味を感じはしましたが明示的に本多猪四郎の築いた東宝特撮だと言っていいだろう。相対したのが組織や国家ではなく、個人だったというだけの問題だ。

 すっごく分かりやすい類似点で言えば、宇宙からの侵略者と国家が戦うのはゴジラ2000ミレニアムシン・ゴジラ、もしかすると空の大怪獣ラドン(というよりは、平成ガメラの1か)と非常に近いし、多分ゴジラの伊福部サウンドをオマージュしたと思われるサウンドも聞こえてきた。だが、それに留まらない、というかこんかいのそいつの造形、良く分からん音とかの設定は宇宙怪獣ドゴラだと言わざるをえまい。っていうか、ドゴラ以外に元ネタを考えるのが私には不可能だ。確かにドゴラはダイヤモンドかなんかを吸い込むだけのやーつだったが、そこにジョーダン・ピールが味付けすればこうなるのはもう間違いないというか、脳内の方程式が完全に完成している。これだ!!と。

 UFO映画に見せかけておいて怪獣映画、特撮映画かよ!!というツイストもさることながら、これまで社会性バッキバキのホラーを撮ってきたジョーダン・ピールがここまでがっつり娯楽作の文法を用いてきたっていうことが驚きであると共に、全然こっちでもやれるっていうことが凄く興味深いな、という風に思いましたね。山崎貴ゴジラ撮るらしいですけど、ヘドラとか使ったような社会派東宝特撮の新作、撮りませんか?それか、ガス人間第一号、美女と液体人間、電送人間、ついでにリー・ワネルの透明人間もくっつけて変身人間ユニバースをジョーダン・ピール総指揮で、ってこれダーク・ユニb…

2.見る・見られる暴力と見世物と映画と社会

 バカみたいなオタクの文章が続いてしまった気がするので真面目な解釈の話をば。とはいえ、もうなんかみなさん死ぬほど語ってらして、もうどうせ私なんかが思いついたことはみんな気付いているんでしょ??っていう気持ちが否めません。

 まあやってることは、視線ですよね。「見る」ことの暴力性、「見られる」ことの恐怖をシンプルにUFOの底面に吸い込み口があることで巨大な眼が浮いているようにも見える。こいつと目を合わせなければ吸い込まれない、っていうことで、終盤の対決でも見るっていうことが重要になる訳ですが、この視線の暴力っていう話は社会性をとてつもなく孕んでいる。ただ見るんじゃなくて、見下ろす形になっている訳ですよ。だからこの映画において段差のあるところで喋っているのは大体キニナル…なカットが多くて。で、それを段差がなくても表現できてしまうのがスティーブン・ユァンのテーマパークであり、ゴーディであり、そして映画っていうメディアですよ、っていう。OJがラッキーを連れて行った現場のことにしてもそうですが、ハリウッドとかを含めて見世物小屋としてきた世間全体への批判の眼差しがそこにある。勝手に見てんじゃねぇと。お前らは黒人を、あるいはアジア人を、非白人を馬や猿と同じように扱っているんじゃないか??そしてそれはまだ続いてやしないか?ロード・オブ・ザ・リングにまつわる反吐が出る意見を聞いているとそう感じます。

 一方で、じゃあ見なければこのバケモノをやり過ごせる、見ないで逃げればいいじゃないか、どうして彼らはこのバケモノを撮影してやろうとするのか。それは、アダム・マッケイが「Don't look up」と言って気づかない世の中を嘲笑ったのを思い出せばいいと思うのだ。重大な事案、暴力がそこで起きているのに見ないふりをして逃げ出すことは、勝手に見ていやがることよりももっと重大な悲劇だ。彼らがここで戦ったことは、劇中でも言われるように「地球を救う」のだ。少なくとも24時間テレビよりは。(無論、人種による階層移動の難しさ、貧困からの脱出の困難さが物語的には動機だったといえるとは思うが)。現代社会における最悪の悲劇は、死ぬことでもなく、見て見ぬふりなのだ。

 勝手に見てんじゃねえ、と見逃すな、という視線の暴力と一方向性を考えた時、じゃあ多面的に捉えられた瞬間、そう、OJとエムがヤツを挟んで向かい合った時、あっこがこの作品の1番のピークだと思うのです。向かい合って、俺は見てるぞ、のジェスチャーを互いにする。あれって、スクリーンのこっちとあっちでの見てるぞ、でもあると思っていて。変えてくからな、信頼してくれ!と変わるのはあんたらもだぞ、の2つがあるように感じました。

 どうでもいいけど、OJって絶対OJシンプソンだと思ってWiki読んでいったけど意味なかったわ!ガハハ!