抹茶飲んでからマラカス鳴らす

FC東京サポで鷹党のどうでしょう藩士による映画・アニメを中心とした感想ブログ

ドラマと映画どっちも見たよ「映像研には手を出すな!」感想

 どうも、抹茶マラカス (@tea_rwB)です。

 今回取り上げますのは、湯浅政明監督によるアニメ版も絶好調だった映像研の実写版。じゃあアニメ版の感想はこち…なに…まだ冬アニメの感想すら上がってない…だと!?すいません。・゜・(ノД`)・゜・。

 この作品のおかげで、私は乃木坂を3人覚えることができました。覚えている乃木坂はこれで全部で3人です。ちなみに欅坂は0人で日向坂は1人です。(それでいいのか、20代…)

( 以下どっちもネタバレ有)

 

1.実写ドラマ版「映像研には手を出すな!」

テレビドラマ『映像研には手を出すな!』 Blu-ray BOX(完全生産限定盤)

WATCHA3.0点

Filmarks3.0点

 アニメでいうところの第4話、生徒会に認可してもらうまで。そのマチェットを強く握れ!!

 上水道部、下水道部の対立やら号外部やら、内野部と外野部の合併やら、なんでもありの芝浜高校の多種多様な部活動が見れるのは楽しいが、それが有機的に機能していたかというとイマイチ。そういう部活動のモロモロに映像研の3人が影響を与えていくのはわかるが、クリエイターの話なんだから、そこからさらに自身も影響を受けないんだったら正直いらない。結果として、なんか死ぬ気でアニメを作るんだ!という意気込みを正直感じず、バカがいっぱいいるように感じたし、ラスト、浅草氏の啖呵も感情の爆発という感じがせず。

2.劇場版の感想

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WATCHA3.0点

Filmarks3.0点

 劇場版で取り上げられたのはアニメでいう第5話~8話のロボ研編。

 まずはドラマ版を見ていない人向けに、『羅生門』のパロディなのか知らないが、大袈裟演技の更にその上を行く大袈裟演技でドラマ版を振り返り。ここが結構長い。新作劇場版と言っておきながら総集編に時間をかけすぎ。そして、これ以降ずっとだが、どうにもギャグが寒い。寒すぎる。私だってつまらないことばかり言ってる自負はあるが、それに輪をかけて面白くない。うーん、これは監督との相性なのだろうか。いや、でもあのはじめてのおつかいはマジでつまんないだろ。誰か止めなかったのか。

 まあそして誰もが思うだろう浜辺美波の必要性!まあ色んな部活を出す面白さが実写版のいいところのひとつとはいえ、人口台風を作るとかいう、映像研より遥かに国家を揺るがすレベルのテロ行為を行うのもびっくりだし、福本莉子以外とは共演シーンが無かった。あれか、ふりふらのついでに撮ったのか。っていうか浜辺さんは東宝に親でも人質に取られてるのか?

 で、どっちが原作準拠か知らないが、アニメだと芝浜UFO大戦編に出てきたコメットAを出しておきながら、結局文化祭に、と横滑りすることでスケジュールの逼迫感を出し、失踪ネタ、もう書けないネタをドラマ同様再生産。ドラマのすぐ後に予定通り公開してたら本当に同じすぎてびっくりしただろうな。当日になったら、講堂のカギが無いとか、水崎氏の両親とかでサスペンスというかドラマを煽る。まあこの辺に言いたいことはあるのだが、それはドラマと共通しているので一旦置いておこう。

 今回の実写版が個人的にダメなのは、大生徒会という設定をまるで生かしていないところだ。大生徒会は、自由な校風のもとに多種多様に膨張しきった部活動を統括しようとする、その矛盾が生きており、だからこそ、例えばソワンデのようにちゃんとわかってるやつは映像研を認めはする、みたいなことが可能になる。本作でも、それは違う部活だろ、という概念をいっしょくたにする暴君ぶりを見せ、映像保存と保存食愛好会を一本化するという意味不明な采配。更には、文化祭前夜の徹夜阻止の為に自分たちが徹夜自家撞着まで起こし、それに言及もさせている。それは「正しい」からだと大見得まで切った。準備はばっちりだ。なのに、それに対するカウンターは映像研を探すのに夢中になりすぎて会長は寝過ごした、で済ましていいのか。確かに、ソワンデは講堂を開錠してくれたが、文化祭で会場が開かずにイベントが行えなければ、生徒会の責任問題だし、そもそも鍵持った教師が鍵を学校外に持ち出してるなんて、教員側の大失態であって映像研には何の瑕疵もない。あそこでソワンデが開錠したことは、生徒会の意に背いたのではなく、むしろ体制維持の為に必須の行動だ。で、あれば。結局最後の焦点を水崎氏の両親の問題に移したせいですっかり曖昧に着地させたのだ。なんとまあ。

3.映像研から逃げるな!

 前項までのような文句が劇場版に出るのも、ドラマ版と通底した思いが否めないからだ。この製作陣は「映像研には手を出すな!」から逃げているとしか思えない。

 端的にいって、アニメを作っている現場があまりにも出なさすぎるのだ。部活モノの日常系アニメでももう少しちゃんと活動している。

 実写化した際の、浅草氏の逞しい想像力を線画、コンテのように現実に移植し、ある程度完成したものを3DCGで見せるのは別に問題はない。それは彼女たちの想像力の具現化だからで、不可視のものの可視化で、イメージ共有の段階だからだ。でも、彼女たちが作っているのはアニメーションだ。じゃあ、そのイメージに負けない、あるいは負けた結果となる映像が前面に出なくてどうする。

 劇場版では、結局アニメとして見れたのはそれまで視覚的に見せられていた部分しかなく、セリフでしか出ていないシーンはほとんど無かった。水崎氏の両親を納得させられるだけのものができたか、それさえ視聴者にはわからないのだ。これでは、映像研のメンバーが信じる映像の力から逃げていると言わざるを得ない。