抹茶飲んでからマラカス鳴らす

FC東京サポで鷹党のどうでしょう藩士による映画・アニメを中心とした感想ブログ

やさしい嘘をめぐる価値観の葛藤「フェアウェル」感想

 どうも、抹茶マラカス (@tea_rwB) です。

 今回取り上げる「フェアウェル」はFan's Voiceさんのオンライン試写会で鑑賞させていただきました。オンライン試写会にも慣れてきましたが、どうも気が抜け始めてる気もしますね。

The Farewell [DVD]

WATCHA3.5点

Filmarks3.5点

(以下ネタバレ有)

 1.優しい嘘をめぐる葛藤

 物語は極めてシンプル。たった一つだけど、とっても大事な「嘘」をめぐる物語になります。その嘘は、癌の告知。

 舞台となる中国では、命は個人のものだけではなく社会や家族のものでもある。命の終わりの重責は本人ではなく、周りが担い、本人には死期が迫るまでは伝えない。それはやさしい嘘。だが、幼くして両親とともにアメリカに移住し、今回祖母を心配して帰省してきたビリーはどうにも腑に落ちない。自己決定権の観点から言えば、余命や病状を宣告することで、残された時間をどう過ごすのかを本人が決められるはず。まあどっちが良いのかは、まだまだ答えの出ている問いではないとは思います。だから、この映画における結論としてどっちが良かったのかを論じる気はありません。

 ビリーは中国系アメリカ人であり、未婚女性であることも強調されます。何度も結婚は?と親戚に問われ、そのたびにその原因は仕事を頑張っているから、と言われなくてはならないいわゆる伝統的価値観には本当にうんざりしたくなりますが、実際のところビリーは学芸員の仕事にも不合格になっていて、アメリカの中でもアメリカ人になりきれていないようにも感じる。それでいて、中国に帰っても中国語がわからない場面も多く、価値観もいわゆる西洋的なもので違和感を覚え続けている。中国でのかつての家も現在では取り壊され、文字通りの故郷は彼女にはない。

 そういう状況で、この嘘は本当に"good lie"なのかどうか悩みつつ、祖母の思いを胸に自分にできることをやる、という終わり方。アメリカと中国で部屋に入ってきた鳥が、ラストで飛び立つのは世界を超えて想いがつながっているような象徴ではないでしょうか。

 ビリーを演じる主演のオークワフィナは、「オーシャンズ8」「ジュマンジ/ネクストレベル」「クレイジー・リッチ」などで、コメディリリーフを好演していましたが、本作ではこれといって爆笑を起こすような感情の波が爆発するようなシーンはありません。それでも、心の中の葛藤が出るような表情や、大笑いするほどでもない間合いや言葉の違いでの笑いを作るのが非常にうまく、決してコメディだけで収まる人材でないことを証明したと思います。

2.私小説的な映画だからといって

 本作のビリーは、明言されていますがはっきり監督のルル・ワン監督自身であります。完全に分身としての存在であり、エピソード自体が監督の経験したもの。監督のナイナイ自身はまだご存命ということで、それ自体はとても喜ばしいのですが、私小説的な作品に対して、どう評価を加えればいいのか正直悩ましいというのが本音。

 というのも、この映画の中では、あまりに東洋的価値観と西洋的価値観として挙げられるものが典型的であり、若干西洋進歩主義的に感じてしまう描かれた方なんですよね。中国の考え方は考え方で尊重できるような描写がされてほしいし、かといって、ビリーがそれに迎合したような描かれ方もなんか違う。どうすれば良かったのかと問われると難しいですが、少なくともビリーがアメリカにいる間に、アメリカ人として扱われないような描写があると、米中どっちにも属せない、という立ち位置がはっきりしたと思います。

 また、非常に扱いに困るというか、苦言を呈したくなるのが、アイコというキャラクタ。ビリーの従兄弟の結婚相手で、日本人という設定です。監督によれば、本当にご自身の従兄弟も日本在住で奥さんも日本人なんだと。そう言われちゃうと、事実通りでおしまいなんですが。

 今回ビリーが置かれる故郷の無さ、価値観の対立というテーマにおいて、中国語がほとんどわからない中、日本から単身でこの家族に飛び込んで来た彼女をしっかり描写することで、ビリーと類似させたり、対比させることでもっと重層的に描けると思うんですが、彼女は借りてきたお人形のようで自らの意思を示すような場面もなかったように感じられました。挙句、自分の披露宴で義父がマザコンスピーチまでしただして。自分があの立場だったら屈辱的だと思いそうなんですよね。それでも中国社会はそういうものだ、というのはわかります。分かるからこそ、そこの葛藤はビリーと共有できたはずなんですよ。彼女の扱い方をもっと上手くして欲しかったな、という思いが拭えません。