抹茶飲んでからマラカス鳴らす

FC東京サポで鷹党のどうでしょう藩士による映画・アニメを中心とした感想ブログ

きたぞ我らのワンダーウーマン「ワンダーウーマン1984」感想

 どうも、抹茶マラカス (@tea_rwB)です。

 さあみんなが待ってたワンダーウーマンの続編の公開と相成りました。とにかくこのご時世にTENETに続いて公開を決断してくれたワーナーさんには感謝ですし、劇場公開を主張している記事を見たので、パティ・ジェンキンス監督にも感謝です。

 飛んでる姿、スーパーマンのオマージュだと思うんですけど、私は完全にウルトラマンだと思いました。だからタイトルにしました。後悔してません。

Wonder Woman: Writing Journal • Notebook • Diary • Notepad

WATCHA3.0点

Filmarks3.2点

(以下ネタバレ有り)

 1.開幕SASUKE…でアクション少なめ?

 さて、誰もがびっくりするのが冒頭ですね。子ども時代のダイアナがまあ古代オリンピックのような雰囲気の競技をしている様子が描かれます。まずはギー・ラリベルテが創設したことでお馴染み(最近覚えた)シルク・ドゥ・ソレイユ的な絵面が続き、そののちダイアナ参加のレース。ここは完全にSASUKEだな、と思っていたらマジでSASUKEに影響受けてたらしい。そんなバハマ

 んで、ダイアナは不正をして怒られて、真実の重要性を教わる、というのがこの後に活きてくる…っていうのがやりたかったんだと思います。嘘からは英雄は生まれない、でしたっけ、真実からしか英雄は生まれない、でしたっけ。まあそんなニュアンスのことを言ってましたね。そこにはいろいろ文句はありますが、とにかくここのシークエンスは丸々無くていい。この後の本編でのアクションが、アフリカでのカーアクションとホワイトハウスでの格闘、最終決戦ぐらいしかないのでやっべ、と付け足したのか!?という印象すらあります。ただ、丸々いらないこのシーンが一番楽しかったような気がするのも事実。うーん、残念ですね。

 冒頭のが1番楽しかったっていうのは、間違いなく予告編でも見せていたホワイトハウスでの戦闘にあって。カーアクションのところは、うーん終わり方はイマイチですけど、スティーブにも活躍の方法を見出しながらなら仕方ないかな、と思うし、最終決戦はちょっと見辛い気もしましたが、許容範囲。ホワイトハウスでの決戦でダイアナは、バーバラに敗れ、それゆえに自宅保管の伝説のアーマーを着用する運びで、敗北する流れなのは分かります。分かるんですけど、ダイアナはスティーブの復活を願った代償で力を失い始めている。「バットマンvsスーパーマン ジャスティスの誕生」でもあったので、DCの癖なのかもしれないですけど、圧倒的な筈の強者が勝負をいい感じにするためだけに弱体化させられて戦うの、好きじゃないんですよ、はっきり言って。弱体化したことで新しい必殺技を習得するとか、身分を失ったことでかえって得るものがあるとか、そういう展開ならいいんですけど、どう考えても負けイベント消化とか、圧倒的な戦力差を埋めるための弱体化は嫌いです。

 

tea-rwb.hatenablog.com

 

2.ポストトゥルースの時代に

 今回のヴィラン、マックスウェル・ロードは願いの石と一体化して、人々の願いを叶える代償を奪っていって権力を掌握するフツーの人間でした。それゆえ、戦闘面では、ダイアナに憧れた女性バーバラがチーターになって担当。キャッツってこんな感じだったのかな、みたいな変身っぷりでしたね。チーターは今回のキーワードとくっつけて考えると、ズルをした人、チートする人、という意味にもとることが出来ます。そのため、本作では敗北するのが適当だとは思います。ただそれにしたって、彼女の負けた後のフォローが無さすぎる!願いをキャンセルして(いや、一言でキャンセルしていいんかい!とは言わないでおこう)かつての優しさを取り戻してダイアナと夕食食べてるエンディングとかにしてあげて欲しかった…。

 あれ、いつの間にか話がバーバラになってましたね。マックスウェル・ロードですよ。なんか願いに代償がある、みたいな設定もフワフワしていたし、願いの叶えかたも雑(誰か目の前のお前を殺すことだ!とか言い出したらどうするつもりだったんだろう)だな、と思いますが、まあこれ堂々とトランプさんにぶつけてますよね。真実の価値が揺らいでいる時代に、嘘と欲望を取り込むことで偉大な人物になることを目指したマックスをトランプと重ねることで、アメリカの人たちにこんな人に任せても第3次世界大戦になりますよ?と訴えかけてるんでしょう。そう、第三次世界大戦

3.ヒーローと虚構

 本作では、略称としてとにかくWW84というのが用いられていました。

 深読みするまでもなく、これはワンダー(W)ウーマン(W)とワールド(W)ウォー(W)を重ねているんだと思います。これは想像していた通りなんですが、実は私、本作はトゥルーマン・ショーパターンだと予想していたんですね。スティーブの復活に理由をつけるには、モノマネが得意なやつが混ざっていて、みたいな。

 なぜならば、本当に1984年が舞台になってしまうと前作との齟齬で気になるところが出てきてしまうから。つまり、ワンダーウーマン第二次世界大戦は止められなかったのか、っていうかその時何してたんだ問題です。

 9.11の際、崩れ行く世界貿易センタービルを目の前にしてアメリカ国民はスパイダーマンは、スーパーマンは現実には助けに来ない、ということを突き付けられ、コミックのほうもこの課題を突き付けられた、と聞いています。あくまでスーパーヒーローたちは実在しないで、スクリーンの向こう、紙面の向こうにしか存在しません。それでも、彼らの存在が誰かの心を助けている。そう折り合いをつけるしかないんだと思います。ところが、本作はそのメッセージを否定する結果になりかねない。そう、前述した「嘘から英雄は生まれない」発言ですね。真実の重要性を訴えれば訴え、それがダイアナの正当性を補強していくほど、いやだって、嘘じゃん、が顔を見せてくる。しかも、輪をかけて嘘じゃん感を強めていく正直このバジェットであり得るのか疑問なレベルで雑な合成。この映画が雰囲気を似せた80年代の映画は、まだちゃんと本当にアクションをしていましたが、本作は当然CGでしょう。へー、嘘ばっかじゃん。じゃあ本当にヒーローなんていないんだな、とがっかりしてしまった、というのが一番率直な感想です。

 分かっていても虚構で生きていたいんだよ