抹茶飲んでからマラカス鳴らす

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中村倫也の多様性「水曜日が消えた」感想

 どうも、抹茶マラカス(@tea_rwB)です。

 今回は「水曜日が消えた」。作中では、火曜日の中村倫也さんが図書館など、火曜は閉まっている店が多いと愚痴っていますが、月曜日に映画館に行ったのに、食べたいラーメン屋が臨時休業でした!南無三!

水曜日が消えた 【電子特典付き】 (講談社タイガ)

WATCHA3.5点

Filmarks3.4点

(以下ネタバレあり)

 

1.中村倫也ショータイム

 最近の邦画には珍しく(偏見)、ポスターに主演の中村さん一点突破。いわゆるブロッコリーじゃないということで、彼の魅力頼みな集客になるとは思うのですが、制作側もそれをわかっていたようで、上映前には今回の延期を受けての特別コメント映像付き。ちゃんとファンらしき女の子がキャーキャー言ってましたよ。「半分、青い」でブレイクの瞬間を見ただけに、なんか感慨もひとしおです。

 という訳で本作は曜日ごとに7つの人格に分かれてしまった、そのうちの火曜日が主人公となるお話。なぜか水曜になっても主人格が火曜日のままで…。となれば期待するのは、当然7種類の中村倫也の演じ分け。実力は間違いない俳優さんだと思うので劇団中村倫也を期待したのですが…見に行ってスクリーンで映し出されたのは、中村倫也ディナーショーでした。これ伝わりますかね?

 簡単に言えば、中村倫也が7つの役を演じ分けると思っていたのに、7人の人格は外形的なアイテムでの説明が多く、中村さん自身が演じたのは月曜と火曜のほぼ2つ。しかも月曜の登場はかなり後半からなのでほぼ火曜だけで物語を引っ張っていくことになります。

 そんでまた、その火曜の生活が特段の推進力が無い!序盤は起きて、ルーティンをこなし、寝るという日常の提示、そっから水曜という新しい世界に到達した喜びと発見。ここまではこの手の定石。そっから誰かにバレたらどうしよう、みたいなサスペンスも無いし、ただの青春映画みたいになっちゃうんですよね。新しい世界での新しい出会い、みたいな。なので、中村さんの演技で引っ張っていくというより、彼の持つあざとさやチャーミングな部分だけで引っ張っていく、ファンじゃないと結構辛い感じは否めません。そういったところが、演劇というよりディナーショーと呼称した理由になります。

 しかも、繰り返し繰り返し彼が分裂した原因の自動車事故の回想が挟まれるので、正直言ってしつこい、くどい。折れてしまったサイドミラーに映る鳥の数で現存する人格の数を見せたりと、映像で語る努力をしているのに、それで分からなかった人用なのか、後から言葉でも全部説明。うーんもったいない。中村倫也に夢中で話を聞いていなかった人には丁度いいのかもしれません。

 そういった点では、エンドロールで7人がメモで共有しながら会話していたような、7人の中村倫也を毎日流す日常系15分ドラマとか、いいんじゃないっすか。

 あと、そうは言っても深川麻衣さんが相変わらず別格の美しさだったことは添えておきましょう。いいなぁ、中村倫也の顔してれば深川麻衣の司書に好かれるのか。

2.多様性尊重としての7人格

 今回描かれる7人の中村倫也は、音楽芸術スポーツなど様々に割と類型化された色んな自分を演じます。彼が7つの人格に分裂してしまったのは幼少期で既に16年が経過していることが語られています。これに対して、医療としては7つの人格を統合する方向を正常と考え、あくまで「管理」や「治療」のアプローチをとっていっています。

 深く読み取ってあげるならば、中村倫也の身体それ自体を地球と見立て、色んな趣味を持つ7つの自分の存在を否定せず共存させていく今回の映画は、ある種人類における多様性の肯定の側面があるでしょう。「元の自分」=単一民族思想みたいなものは存在しない、と。だからそれを取り戻そう、管理しようとする体制的なものはやめようなんてメッセージ…じゃない気がするなぁ…。

 もうちょっと素直に受け取れば、解離性同一障害、いわゆる多重人格における自己決定の場面での自己とはなんなのか、ということは考えられるでしょう。手術の同意書に、月曜日は、既に消失してしまった6つの人格分までサインをして7つでこそ自己であると表明しています。なんらかのアイデンティティペグのようなメタな自己が存在せず、対等の立場で7つの人格が共存するとき、すべての同意を取るべきである、という決断それ自体にはとても納得がいくものです(その決断に至るプロセスや感情の動き方としては思うところがあるが)。