抹茶飲んでからマラカス鳴らす

FC東京サポで鷹党のどうでしょう藩士による映画・アニメを中心とした感想ブログ

青春を登る頑張る「のぼる小寺さん」感想

 どうも、抹茶マラカス(@tea_rwB)です。

 いよいよ上半期ベストを考える時期ですね。ところがどっこい、今回取り上げるのは7月3日公開なので、本来はレギュレーション的には上半期ランキングには入らないやーつ。オンライン試写が当選したので見れました!上半期ランキングには6月公開なのにランボーが見れずに入らず、7月公開なのにこれは入れる、みたいな珍事が起こるかも!?

 あ、見る気のないアニメファンの方!これ脚本吉田玲子ですよ!

実写表紙版 のぼる小寺さん(1) (アフタヌーンコミックス)

WATCHA4.5点

Filmarks4.3点

(以下ネタバレ少なめで公開前でも問題ないシフトでお送りします)

 1.桐島、部活やめるってよ×ちはやふる

 ボルダリングが主題となる本作。

 舞台は高校1年で、冒頭から進路調査票を空欄で出した問題児として集められる。高校生に付きまとう将来への決断という問題を見せながら、メインどころをここだけで一気に紹介してしまう豪腕。ここの場面だけで顔見せとざっとキャラを掴ませることに成功しています。

 特に中心になるのは、伊藤健太郎演じる、やりたいこともない近藤。こんなイケメンの癖に、まあ持たざる者です。そこだけは気に入らねぇ笑。

 ただ、近藤はあくまで語り手であり、物語的な中心になっていくのはただ只管にボルダリングで壁を登り続ける小寺さん。「こでら」じゃないよ、「こてら」だよ。その小寺さんが何かするわけでもないのに、空虚な中心のような形で序盤に集められた面々が気づけば「頑張る」を覚えていく、「好き」の強さと無限の可能性を見せつける、そんな映画です。そのため、運動部版の桐島という印象があり、その上で学校の閉鎖性で回収しきれない不登校児までレンジに収めている、極めて優等生的な作品。なんていうのか、原作者の方だとは思うんですけど、キャラに対してとっても優しい印象を受けました。

 また、もう1個連想するのは現代における青春映画の金字塔にして、漫画実写化はクソ理論に対する反論で真っ先にあがるだろう大傑作「ちはやふる」シリーズ。

 ちはやふるでは、主人公の綾瀬千早も成長を遂げていき、同時に瑞沢カルタ部全体が成長してく話でもありますが、本作でも高校からボルダリングを初めて脱皮していく机くんポジションのキャラである四条が描かれます。彼もカッコいいし、本来ならば進研ゼミかよ!?とツッコミいれたくなるような成長と大成功を遂げる訳ですが、素直に祝福したくなる。もう完全にキャラを応援するモードにされちゃっているんですよ。

 映画が始まってからは、それぞれのキャラ視点での章立てでのキャラの掘り進みがなされ、それが一点に集まるのはボルダリングとは一見関係のない文化祭。でも、ここまでにすっかりキャラの虜にされている観客はここで起きる会話と登場人物たちの新たな関係に笑顔になること必至です。

のぼる小寺さん(1) (アフタヌーンコミックス)
 

2.「登る」ことが許される青春

 さて、今回のブログでもあえて中心となる小寺さんへの言及を避けて空虚な中心っぽくしてみましたが、小寺さんを演じた工藤遥さんへの称賛とボルダリングという題材への言及を無くしてこの映画の感想は語れないでしょう。

 思うに、今の日本映画で「登る」、そして「頑張る」ことを描くのって滅茶苦茶難しいと思うんですよ。どんなに頑張っても先の見えない未来、右肩上がりの高度経済成長なんて望めない訳で。大人になっても登り続ける、それ自体がかなりの夢物語でそれなりの強度が無いと説得力のある上昇物語を描けません。勿論、だから万引き家族みたいな作品も生まれる訳ですが。

 それを考えると、高校生年代というのが純粋に上を目指す物語を書く上では割と限界。その中でも高校1年生を舞台にしていることで、下を見ることなく物語が進めます。

 そういう題材の「登る」ことに説得力を持たせるのが主演の工藤遥さん。ハロヲタではないもので、彼女のモーニング娘。時代をよく知らないのですが、少なくとも本作で彼女を大いに称賛することに異論はないのではないでしょうか。ほぼスタント無しだと思います、顔を見られるカットのままボルダリングを見事にこなしていますし、スポーツの構造上当然ある落下シーンだってしっかり自分で落ちている。私も一度ボルダリングを誘われてしたことあるんですけど、そこそこ運動神経に自信のある自分でも角度がつくと明らかにダメになったので、本当に凄い。

 もちろんこの映画はそういうジャンルじゃないですけど、立派なアクションですよ。岩も登ってましたからね。調べた限りでは4か月特訓したようで、本当に拍手喝采であります。ちゃんと登っているところを身体性をもってこれだけ表現されると、「登る」ことに対する説得力が全然違いますよね。

 「登れる」「頑張る」という点では初心者だった四条が映画冒頭と比較してラストで手が届くその展開自体も分かりやすく、しかし確実に胸を打つもので、頑張ることの重要性をここでもしっかり感じることができます。

 んで、ちはやふるでは百人一首が過去の一瞬を捉えて現代に伝わる競技であり、それ即ち青春がこれからも…というように競技内容自体が映画のメッセージと重なっていましたが、本作もそう。1番上を目指して、後届かない1手を伸ばすために頑張る。それ自体が青春なのです。

 あ、そうだ、ラストシーンで近藤が来ていたシャツの胸に書いてあったのがBUTTERFLYだったんですよ。普段なら無視するんですけど、脚本吉田玲子で夢見ることをうたってるんですよ!これ流石に意図してますよね!!

 最後にもう一個。ボルダリングって、その特質的に、下から、みんなから、見られることが大前提の競技なんですよね。だから、この映画でも視点だったり、写真だったりが重要な要素になる。その時、小寺さんは一切見ていないんですよ。もっと言えば小寺さんは聞いてすらいない。常にみんなが小寺さんを見ていて、そこから力をもらっている。この辺も凄く巧みだったと思います。