抹茶飲んでからマラカス鳴らす

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抗い声を上げ続ける重要性「黒い司法 0%からの奇跡」感想

 どうも、抹茶マラカス (@tea_rwB)です。

 今回は事前に試写会で鑑賞できた映画「黒い司法」の感想。

 マイケル・B・ジョーダンa.k.a.キルモンガーとブリー・ラーソンa.k.a.キャプテン・マーベルが正義の為に戦うし、監督の次回作はシャンチーなので実質MCUと言っても過言ではない法廷ものです。

Just Mercy (Movie Tie-In Edition, Adapted for Young Adults): A True Story of the Fight for Justice

WATCHA4.0点

Filmakrs3.8点

(以下ネタバレ有り)

1.巧みな視線とマイノリティの扱い

 本作において非常に優秀だな、と感じたのが視線の描き方。

 当然、黒人差別が題材になる、ということもありまずは市井の人々の描き方です。

 主人公の弁護士ブライアンがアラバマ州に初めて赴く場面では車の通る大通り沿いに居を構えるいわゆる中間層の白人と思われる邸宅が並び、また、白人からは色々な場面で彼に対して目線が向けられます。既にしてこの街に黒人差別が根付いていることを浮かび上がらせます。また、刑務所に向かう場面では、「ザ・テキサス・レンジャーズ」で見たボニー&クライドの時代の黒人囚人を銃を所持した馬上の刑務官が監視している前時代さを感じる模様まで描かれる。ボニクラから50年経っているはずなのに、ですよ。

 また、今回の映画で中心に扱われる死刑囚マクミリアンの家族を含む黒人集落は舗装されていない道の先で隠れたように存在しています。

 最も象徴的に視線を使ったのが、マクミリアンの再審請求のシーン。死刑を逃れるために虚偽の証言をしていたマイヤーズが証言を翻すシーンです。当初は自分を酷い目に遭わせた保安官の視線を気にして要領を得ない回答をするマイヤーズでしたが、保安官とマイヤーズの間にブライアンは立ち、その視線を遮り、そしてマイヤーズとマクミリアンの視線を合わさせることでマイヤーズの持っていた良心と勇気を後押ししました。明確に視線を力として描写しており、そこには監督の人間の善を信じる心を感じました。

 もう一つ、物語の中心になるのはビシッとマイノリティの物語になっていること。ブライアンやマクミリアンは勿論黒人であり、マイノリティですが、それだけでなく、マクミリアンと共同で戦う弁護士は女性であり、事務所に加わる仲間も黒人女性。そして何より、犯罪加害者をも弱者として描いています。無論、監督は犯罪者を全員救え、と言っているわけではなく、正当な権利が与えられるべきだ、という描写ではありますが、生殺与奪を握られたマイヤーズを悪人として描かず、劇中で死刑を執行されるハーブは、ベトナム戦争傷痍軍人であり、現在のイラク戦争後の兵士の扱いなんかにも言及したいのかな、と感じました。

 電気椅子のシーンはかなりショッキングで、その瞬間を見せるわけではないのでグロ耐性はまったく必要ありませんが、ここまでモノ扱いしておきながら、死刑執行の日だけは、執行側が人間らしく扱ってくる。その瞬間までは入念に描くので心的にショックは多少受けます。おそらくは、死刑制度自体にも疑問を投げかける意図があると思います。個人的には、冤罪は最も忌むべきものだと同意できますが、死刑制度自体には反対しないのですが、改めて考えるきっかけにはなりました。

 ハーブは言いました。「戦争の方がマシだ。生きるチャンスがあった。」

 この台詞はかなり重く感じます。警察や司法が歪んだ状態では戦争よりも生存可能性が低い、というのは正直日本にいると想像できません。ただ、日本でも逮捕即有罪というイメージは脱却できていないのが現状です。検察が再審請求された事件で証拠を隠匿していた、なんてこともしょっちゅうです。相変わらず月並みではありますが、他山の石としたいところです。

 2.啓蒙主義と言われようとも。繰り返される題材の意義

 正直言ってですよ、またかよ、感があるわけですよ。

 「デトロイト」とかなり重なる部分があるし、法廷ものの奇跡は昨年RBGの映画が2本もあった。単純な黒人エンパワーメントは「ブラックパンサー」はじめ、枚挙にいとまがない。

 黒人救済で法廷の奇跡、また白人が悪者にされて、そんなに弱者弱者言わなくてもいいじゃないか、と。日本にいる私たちにアメリカの現状は良く分からないから、この種の映画がまだ必要なのかは、本当のところわかりません。ただ、この映画に関しては必要だったのでは、と思います。

 それもこれも舞台がアラバマだから。

 アラバマ州は1962年「ローマの休日の」グレゴリー・ペッグ主演で製作された「アラバマ物語」の舞台となった場所です。公民権運動の遥か前、1930年代のアラバマを舞台に白人女性への性的暴行で逮捕された黒人を弁護する物語。しかも驚くほど本作と大筋が似ている。(注意しておきたいのは、アラバマ物語をなぞるように進む本作は実話に基づいているということ)。私も今回に合わせてBSで鑑賞する予定でしたが、カーク・ダグラス追悼のために「大脱獄」に急遽変更されてしまって、未見でしたがあらすじは読んで本作に向いました。

 そして作中、その「アラバマ物語」と同じように話が進んでいく。なのに街には「アラバマ物語」の舞台へようこそ、と看板が立ち、司法関係者からは博物館にはいったか?と問われる。同じような法加害をしているのに、無自覚なまま自分は善人の側だと信じている訳です。勿論、権力に溺れて、差別意識丸出しの保安官や刑務官も多数描かれますが。

 こうした状況を考えると、何度同じ題材で事実を伝えようとも、意識が変わらない限りは伝え続ける、声を上げ続けることが必要だ、というのは間違いないと思います。舞台となったアラバマは50年以上前の傑作を受けても変化していなかったのだから。更に悲しいことに、エンドロールでこれでもか、と登場人物のその後が明かされますが、確実に無罪を知っていて死刑に仕向けた一番の悪人、保安官はこの冤罪発覚後も6度再選され2019年に職を退くまで現役だったと。つまり、アラバマの人たちはつい最近まで彼を求め続けていたと言えるわけです。オバマさんの反動でトランプさんが当選したのも頷けると正直ショックを受けましたね。

 そして勿論、現代に繋がる警句も。検察官の下にブライアンが向かい、無実だと分かっているなら起訴取り下げを要求します。検察官の口から出るのは「市民を守る」「俺の土地から出ていけ」、どこかで聞いた言葉ばかり。ブライアンは市民に黒人は入るのか?と問い質す。検察官は後に正義の人となりますが、そんな彼でもこういう思考を内包している。ここの部分は間違いなく現代アメリカへの批判で、逆に言えば最も聞き飽きた言葉かもしれません。繰り返しますが、それでもそれを言い続けることの重要性を描いた映画ですが。

 

 さて、マイノリティの描き方の面では非常に好感を持てたので、アジア人映画となる監督の次回作にしてMCU作品「シャン・チー」にも少し安心できました。ただ、ドラマの山が思ったより早く来てラストが少し冗長なのと、本作にはアクションが全くないので、そこがどうなるか。いずれにしてもシャンチーの登板前に「ブラックウィドウ」やら「エターナルズ」やらありますからね。ドラマの「ワンダヴィジョン」もめちゃくちゃ不穏だし。楽しみです。