抹茶飲んでからマラカス鳴らす

FC東京サポで鷹党のどうでしょう藩士による映画・アニメを中心とした感想ブログ

ノスタルジーに殴られる時、私たちは大人になっている「デジモンアドベンチャー LAST EVOLUTION 絆」感想

 どうも、抹茶マラカス (@tea_rwB)です。

 今回はデジモン20周年記念作品。酷評だったデジモンの全6章のシリーズtriは見ていないので、久々にデジモンに触れた機会になりました。別にいいんですけど、全6章って見る気が失せません?おい、ガルパンよ。そしてプリンセス・プリンシパルよ。(後者は面白そうだけど劇場で6本と聞いて挫折した。)

映画ノベライズ デジモンアドベンチャー LAST EVOLUTION 絆 (ダッシュエックス文庫DIGITAL)

WATCHA4.5点

Filmarks4.6点

(以下ネタバレあり)

1. エモエモのエモで殴りつける

 私は一体デジモンは何世代なのだろうか。アグモンたちのことは勿論知っているし、ホーリーエンジェモンのヘヴンズゲートを最強技として認識しているんだから、多分初代はちゃんと見ている。説明なしに映画に登場したブイモンやアルマジモンの世代も覚えているし、映画を見たことで、劇場版に足を運んでメガログラウモンのデジモンカードをいただいたことを思い出し、レナモンやテリアモンのテイマーズも見ていることを確信できる。

 だが、そのどれもに特別な思い入れがあるわけでもなく、胸を張ってデジモン世代だと言えない自分がどこかにいる。っていうかよく考えるとFC東京とホークス以外に10年以上思い入れ続けているものが無い気がする。

 そんな私でもびっくりするほど感動できるのが本作だ。

 初手ボレロで、街中に現れたパロットモンを太一たちが迎え撃つ。ボレロが鳴り響く中でのパロットモンとのマッチアップは、(映画を見始めてから見た作品ではあるが)劇場版第1弾の対戦カードであり、この時点で既に心の中のエモが動き始める。早速の進化でbrave heartがかかりエモが加速すると、OPのButter-Flyでエモが決壊する。映画自体の力というよりも、観客の過去に頼ったノスタルジーを使って動かしてくるので、初見の人にはエモポイントは低いがそれでもデジモンのシステムの説明としても十二分に機能している。

Butter-Fly

Butter-Fly

  • provided courtesy of iTunes

  また、この時点で太一、ヤマト、ヒカリ、光四郎、タケルの5人が中心であることが明示され、このメンバーは勿論、大傑作「僕らのウォーゲーム」と重なっていくのだ。

 こうして、観客のノスタルジーデジモンを見に来たんだ!という思いを全力で高めると実はそのエモが物語と呼応していく。悪役メノアの動機は喪失してしまったモルフォモンへのノスタルジーであり、過去の思い出に囚われていることだ。そう、序盤ですっかりノスタルジーを引き出された私たちだ。ノスタルジーに浸っている時点で我々はメノアでもあるのだ。最終的に彼女はずっと泣いてた、なんて言われるがしれっと劇中でメノワがホテルで一人の時に雨が降っている。そういう演出も憎たらしい。

 そして、その状況に対して太一とヤマトはどうしてそういう進化が出来るのか、とかどうしてその攻撃は効くのか、といったロジックはすっ飛ばした絆の強さで打ち勝っていき、パートナーデジモンとの別れを迎える。この時、既に観客はノスタルジーによるエモではなく、今回の映画の中での彼らの葛藤に寄り添った形でのエモでぶん殴られるのだ。

 エンドロール、テイルモンとパタモンはまだいるものの、テントモンやパルモン、ゴマモンの姿は見当たらず選ばれし子どもたちは自分の道に進んでいく。ああ、直接的に描きこそしないが、ちゃんとみんな別れを経たんだ。最後に追い打ちのエモが襲ってきて、またも涙腺が洪水をおこし始めるだろう。ああ、そういえばミミちゃんは目覚めた途端に言っていた。いい天気だと。天気の対比がしっかり描かれていたのだ。

 本当はロジックがしっかりしていないと嫌がるタイプの観客なのだが、本作に限って言えばこれだけのエモのつるべ打ち、嫌じゃない。むしろ好きだ。きっと私の中には自分が思っている以上にデジモンがちゃんと住んでいたのだろう。

2. 選ばれし子どもたちから大人へ

 デジモンに限らず、冒険譚は少年少女が主人公のモノが非常に多い。それは成長の余地が多分にあるからであり、今回の劇中でもデジモンの強さは成長の余地、すなわち可能性に依るのだと言明されている。

 年を取らないまさにデジタルなデータであるデジモンたちに対して、子どもたちは大人に近づいていく。自分の将来を選ぶ、ということは視界が狭まり、未知が道に変わる事だ。無限大の夢が無くなるのだ。特別な何者か、だった選ばれし子どもたちという存在から、他の何者でもある大人になる。ある意味でデジモン世界では、成長とは呪いからの解放なのかもしれない。

 自分で生きることを選び、自立に突き進めばかつての仲間との絆が薄れるのも仕方がない。だが、この映画はそこから一歩進むことを明確に推し進める。たとえいなくなったって、過ごした時間はなくならないし、離れていたって一緒だ。20年の節目に、これまでデジモンからすっかり離れていた、でもカラオケでButter-Flyがかかれば盛り上がる。そんな私だからこそ、このメッセージは他のどの作品でも語られるこのメッセージが響いたようにも感じる。

 本作は徹頭徹尾、太一とヤマトの物語だ。パロットモンを転送した後も、彼らだけが立ち去り(それでも同じ方向に向かっていく、もっと言えば、ヤマトはUターンして少し時間がかかって太一と同じ方向に進む)、彼らの時間は阿佐ヶ谷の居酒屋で共有され、そして2人でみんなを、世界を救う。そこにはウォーゲームへの敬意もあるだろうし、描けることの限界もあるだろう。ただ、ノスタルジーでエモエモにしてくれるからこそ、贅沢かもしれないが全員集合の絵は欲しかった。Re:Cyborgでも思ったことだが、折角の復活だ。見たい絵というのもあるのだ。それとも、この課題は春から始まるというアニメのほうに期待しておくか。