抹茶飲んでからマラカス鳴らす

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人の夢は終わらねェ!「テリー・ギリアムのドン・キホーテ」感想

 どうも、抹茶マラカス (@tea_rwB)です。

 今回取り上げるのは、映画界最大かもしれない苦難を乗り越えてついに公開された「テリー・ギリアムドン・キホーテ」。「バンデッドQ」ぐらいしか彼の作品は見ていないし、セルバンテスドン・キホーテも斜め読みぐらいなので見に行くか迷いましたが、どう考えても映画の歴史上にどっちの意味でも名を残す可能性が高い作品。今見れるのに見逃すのはどうなのか、と思っていってきました。

 9連続PK失敗ってどういうことだ!!

The Man Who Killed Don Quixote

WATCHA3.5点

Filmarks3.6点

(以下ネタバレあり)

 
1. 見るものすべてを疑う白昼夢

 まずは完成して、そして我々の目の届くところまで来た。それ自体が快挙と言えるこの映画。

 その映像はいきなり風車に突っ込んでいく、我々が思い描くドン・キホーテから始まります。ここで、念のために前提を共有しますが、ドキュメンタリー作品「ロスト・イン・ラマンチャ」は未鑑賞、セルバンテスドン・キホーテは自分をドン・キホーテと勘違いした男が旅路の末に気付く話、という理解で臨んでおり、当然風車と巨人を間違えるという著名なエピソードも把握しております。

 そこでまあ雑な登場人物紹介。この世界観では、セルバンテスの話は存在している現代と共有できる世界線であり、主人公のトビーは卒業制作で現在滞在中の場所の近郊でドン・キホーテを撮影したことを思い出し、再訪します。

 この状態のトビーは正直言って撮影にも投げやりだし、あっさりと撮影を無視して飛び出しているしで、とても夢を追っている人間には見えません。ところが、ここで村を再訪すると、かつて主役を頼んだ靴屋ハビエルがいまなおドン・キホーテだと思い込んでいるのです。

 ハビエルに従者サンチョだと勘違いされたトビーはここからなし崩し的に旅に出ていくことになるわけです。もう既にこの時点からトビーは幻想に巻き込まれ始めていますが、まだ現実世界の撮影を気にしたりしています。だが、イスラム教の隠れ里でハビエルがワイン袋を錯覚したように、段々とトビーも幻覚を見たり、寝ている間の夢だったりしてくる。中盤以降、トビーは信頼できる語り手ではなくなり、観客も目に見えるものを信じていいのか疑い続けることになります。さながらそれは白昼夢。ラストの3人の巨人を除けば、わりと粗めのCGとかでわざと分かりやすくしてくれている部分もありますが、それも含めて異物感や困惑が飛び交います。

2. 狂って何が悪い。人の夢は終わらねぇ。

 さて、ご覧になれば間違いなくわかりますが、ドン・キホーテに憑りつかれた男ハビエルはテリー・ギリアム監督自身を投影していると思われます。なんせ30年もこの企画に取り組んでいるのですから。ただ、彼の投影はそこには留まっていません。トビーの方もまた、彼の投影なのでしょう。30年もの長きにわたってこの企画に呪われ続けた監督。当然企画との距離は変わっていくはず。その中で現実側の自分と理想側の自分とがせめぎ合い、でも最後にはこうして完成した。そう、ハビエルが死んでもトビーがドン・キホーテとして新たにアンジェリカをサンチョとして新たな冒険が始まっているのです。ドン・キホーテに象徴される夢を見続ける力は決して醒めない。枯れることはないと高らかに宣言しているのです!

 自分のことをわかっていながらドン・キホーテであり続けた男ハビエルを殺したのは直接的にはトビーですが、実際のところはミシュキンたち。ハビエルを笑った男たちです。ある種これも映画製作にあたって資金難にあえいだ監督の怒りも投影しているかもしれません。

 正直、途中グダグダしたり、そもそも物語にゴールが設定されていないため、推進力を感じず、危うく私が夢の世界に迷い込みそうな瞬間もありました。悪く言えば支離滅裂。でも、実際の制作現場ってそういうものです。何が起こるかなんてわからないし、未知の冒険だから踏み出す価値がある。

 夢や物語の持つ力は残酷なぐらい強大です。身を滅ぼすこともあります。それでも、その力を、信じる想いを、高らかに歌い上げた本作を嫌いになることは決してないでしょう。星野源の楽曲「地獄でなぜ悪い」(映画はまた別ね)のサビの歌詞や「ONE PIECE」の黒ひげの名セリフ「人の夢は終わらねェ!」。こういう虚構を愛する人たちのおかげで、今日も僕はなにがしかの物語の世界で溺れることができます。

 とりあえず、「ロスト・イン・ラマンチャ」、見ます。