抹茶飲んでからマラカス鳴らす

FC東京サポで鷹党のどうでしょう藩士による映画・アニメを中心とした感想ブログ

視点「落下の解剖学」感想

 どうも、抹茶マラカス(@tea_rwB)です。

 アカデミー賞でも結構なノミネートをしているパルムドール作品です。カンヌだし、ジャスティーヌ・トリエだからフランス映画だと勝手に思っていたんですが、国際長編部門のフランス代表は関心領域でしたね。英語喋りだしてびっくりしました。

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WATCHA4.0点

Filmarks3.9点

(以下ネタバレ有)

1.落ちないために

 まーずもって凄い綺麗。アカデミー賞のノミネート的には編集賞脚本賞、主演女優賞、監督賞、作品賞という感じなので別に撮影賞ではないんですが、個人的には雪山が出てきてそれが綺麗に映っていたらもうそれだけでなんか儲けた気がします。死体発見のトコとか、足跡が残らないように撮影したりするの大変だなぁ、などと一瞬は思うんですがそこはもう技術の発展で後から消せそう、とすぐに思い直す八甲田山原理主義者。あの時代にやってんのがおかしい。

 まあそんなことを思ったというのはどうでもよいのですが、そこまでのシークエンスですね、そこが本当にスムーズで良かった。インタビューを受け始め、スティールパンみたいなヘンテコな音楽(50セントといったいたのは覚えている、スヌープドッグといいなんかヒップホップ要素があるのは分かったんだけど明るくなくて申し訳ない)の不快さ、でなんかやけに打鍵が強いピアノ(それは弱視からしょうがないのだが)でザンドラ・フラーの名前が出て、ほーん!!!となんかもういいものを見た気分になった上で、ダニエルの散歩に我々も同行し死体を発見する。ここまでのオープニングシークエンスがもうほぼ満点ではなかろうか。

 一応カンヌでも法廷劇という前振りで聞いていたのでまあ死体発見とかその辺は結構フリで裁判が始まったら本編じゃ!ぐらいの感じで気持ちを作ってきていたんですが、裁判が始まってみたら結構拍子抜けするんですよね。冒頭でインタビューしていた学生が証言台に立つんですが、ここでの検察の立論がゲスの勘繰りにみえる。曰く、ザンドラはバイセクシャルで彼女は学生を誘惑していたのではないか?という一見、自殺が他殺かの争点からは離れているかのように思えるがっかりする弁論だったんですが、裁判が進むにつれてあのシーンの重要性、サンドラの不倫経験と検察もそれなりに考えてゲスの勘繰りしてたんだな、っていう風に見方自体は変化できる構成の上手さを思い知ります。それにしたってあの検事はクソだな、とは思いましたけどね。フランスの司法制度を良く知らないのでアレですが、検察は起訴した以上は彼女の犯罪を証明する義務があり、それができないなら推定無罪のはずだし、実際そうなったわけですが、怒られていたように主観と想像をべらべら喋っているだけでしたね。参審制のせいとかもあるんですかね。

 とまあフランス司法制度への愚痴はともかくとして、物語的には主軸がズレるのが面白いな、と思いました。サンドラが事件の日に何があったのか、これまでに何があったのかを裁判で語っていくにつれ、どう話すか、事実はどうで、真実がどうであるか、というところから、息子のダニエルがどう聞くか、どう考えるかに主軸を移していく。週末を挟んで証言台に再度立つことになり、そのタイミングでの週末で母とは過ごさない決断をした流れも、サンドラではなくダニエルがメインの撮り方でした。そして彼なりの実証実験を経て彼が証言台で語ったものは、裁判の証拠としては全く重要なそれではありません。でもそれは、彼が母親が犯罪者なのか無実なのかをはっきりと確信できない中で、どっち側に確信を持つのかを覚悟を持って決めた末の発言であり、そこに物語的にゴールを持ってきていたように思えます。決めて着るから決着だ!cv関俊彦

 このように、裁判という何らかの事実を争うような物語であり、ある一定の「真実」を求めるだろう法廷ミステリーというジャンルでの作り方を当初はしていながら、どんどんジャンルとしてはスライドしていって普遍的な「解釈」というものを描く物語に着地していく構成がとても見事でした。そしてそこに弱視の証言者を置くことで、何が見えるかではなく、何を見るか、どう見えるかではなくどう見るか、というテーマを見事に描くことに成功していたように思えます。